2018年12月12日(水)にVOCALOTRACKSより、全世界に向けて配信開始!

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現実がコラージュ写真のように見える謎。

 普段引き籠って外になんか滅多に出歩かないのに(今年の2月は3回しか外に出ていない……)、なんだかんだで3月に入ってからぼちぼち外に出ている。すごい!(自画自賛

 石垣に行っている間は否が応でも連れ出されたので、あちこち外を歩き回ったりしてましたけれども。神奈川に戻ってきてからも、自分にしちゃ一人で出歩いているなぁ……と。方向音痴&広場恐怖で、電車なんか怖くて仕方ないんですけど、所用で某所に電車で行きまして。一人でだよ、一人で。すごい進歩だよ!(またも自画自賛

 いやー、でも。終始、心臓バクバクで。奥行きとか距離感とかがよく分からなくて、人にしょっちゅうぶつかりそうになるし。避けようとしたら、また別の人にぶつかりそうになったりするし。そのたび舌打ち食らったり睨まれたりetc...で。一人で、てんやわんや。アホかって自分で思うくらい、一人でパニック。

 わざとじゃないんですよ、本当に。わざとじゃないんです。でも、本当に、ごめんなさい。思い出すだけで、胃がキリキリしてくるぅ……。

 んで帰宅後は風呂場に直行で、シャワーを浴びながら「落ち着け、落ち着け……」と暗示を自分にかけ続けて。あの日は、本当に、悲惨だったー。

 まあ、でも、悪いことばっかりじゃない。用事ついでに、本も買えたしね。そしてまた、みすず書房の書籍が本棚に増えていく……。ははは。

 みすず書房の本ってさ、白を基調としたシンプルなデザインの光沢カバーをぺろっとめくった下にある、あのハードカバーのなんともいえない感触が堪らないんですよね。あと行間と字の大きさが丁度良くて、フォントもまじ読みやすい。それにジャンルも、哲学とか宗教、とりわけ精神医学系に強いんです。素晴らしい、ありがたい! 本当に、助かってる!!

 ……という話は、ひとまず脇に置いて。話を本線に戻しますとね。ちょっと外に出歩く機会が増えて、あと石垣に行ったってことも含めて、気が付いたことがあって。それが上述の、奥行きと距離感が分からないってことです。

 普段家にいると、見ている景色はいつも同じだから何も感じないんですけど。外に出てみると、景色がすべて平面のように見えて……。うまく言葉に表すのは難しいけど、なんていうんですかね、その。景色が全部、写真みたいに見えるんですよ。

 写真って、いうまでもなく写実的じゃないですか。現実を映したものだし。何言ってんだお前、っていうぐらい当たり前のことですけど。だけど、写真ってもの自体はペラペラの紙切れ一枚。写真に写っているもの(切り取られた場面?というのだろうか)には奥行きがあるけど、写真っていうもの自体は平面でしょ。で、目に見える光景が全部その写真みたいに見える。なんとも言い表しがたい、奇妙な感覚。こうして自分で文章に書き起こしてみると、ますますチンプンカンプンだけれども。そういう、感覚なんですよ。

 で、昔からそう感じていたのかというと、違う(……と、思う。なんせ自分の、自分自身に関する記憶に関してはあまり信用できないので、断言はできない)。だって、この感覚が奇妙だと感じているのだから、正常だった時代があったはず。そう思いたい。うん。でも思い返してみれば、5年ぐらいはこの状態なのかもしれない。方向音痴を指摘され、自覚し始めたのもそれぐらいの頃だし。うーん、まあ……正常な時代はあったはずだけれども、かれこれ数年はこの奇妙な世界で生きている、ってことですなぁ。

 本当に、なんて書けば伝わるのだろうか。とにかく現実が、奇妙なんです。平面の世界に投影された映像、というか。あーっと……もしかすると、全てが映画を見ている感覚で、なんか自分の見ている景色なのに他人事みたい、って感じなんでしょうかね。一言で纏めるなら離人症状です。はい、これに尽きます。

 そしてこれは石垣に行って、感じたことんですが……飛行機に3時間も乗っていたにも関わらず。ぶっちゃけ、東京から沖縄に飛んできました!っていう感覚が、あっちで過ごしていた5日間まったくもって沸いてこなかったし感じなかった。

 石垣空港で「ぱいーぐる、マジでチロルちゃん(飼い猫のこと)そっくり、可愛いー。写真撮って妹に送ろー」なんて口先で言いながら、全然「石垣に来た!」とは感じていなかった。

 石垣のあの綺麗な海を見ても、昔は感じたはずの感動は皆無なうえに、海を見てもやっぱり「沖縄キター!」っていう感覚がない。「なんでだろう、まだ神奈川にいる気がするのよねぇ。いや、実はここは神奈川なのではないか」と、海やヤシの木やサトウキビ畑や赤瓦の屋根やシーサーを見ながら考えてしまったり。

 季候や景色や空気は確実に変わっているはずなのに、何もそういうことが感じられない。だからあっちにいる間ずっと強い日差しの存在に気が付かなくて、日焼け止めも塗らなくて、今凄く肌が痛くて後悔しているんだけど。身体はデリケートなくせにこういうところが鈍いから、小さな後悔が絶えない。嫌になるわ、もう。

 そして羽田に帰ってきても、東京に来たって感覚はなかった。クッソ土砂降りの日で、クッソ寒かったけど。肌を刺すような寒さすらも、それもやっぱり他人事のようで。相当、いかれてやがる。

 でも本当に、全て実感がないし、他人事なんですよ。確実に自分は石垣に行ってきて、それで帰ってきたはずなのに、なんかそれすらも「本当に、本当に、それって事実なのかなぁー。俺、本当に飛行機乗ってたっけ?」という感じで。傍目にはさっぱり分からないだろうけど、重症なのである。

 そしてこうしてパソコンと向かい合って、文章を打っている自分の存在すら、他人事のように感じているのである。むしろ他人事のように感じない瞬間がない。相当やばいのである。しかし、その現状すら他人事のように感じていてどうでもいいと思っているのである。そんな自分に対して「どうかしてる、クレイジーだぜ」と思うのである。しかし、やはりそれすらも他人事のように感じてどうでも(以下省略)

 たとえば007のジェームズ・ボンドが、メキシコからロンドンに移動しても。それはあくまで映画の中の出来事であって、映画を見ている人間は移動しない。それは、すごく当たり前のこと。そしてその映画を見ているような感覚で、現実の世界を見ている。そういう感じ、なのかなぁ。

 見えている世界は確実に違う場所で移動しているはずなのだけれども、見ている自分はその実感がない。不思議なもんです、本当に。体と頭が正常に繋がってないんだもの。

 まぁ、こういう状態の良いところはあるよ。良くも悪くも客観的で絶対に冷静な理性が、常に存在しているんだもの。しかし頭だけが冷静で、体はパニックを起こしているときもあるし、理性が本能のハンドルを常に握ってくれているとは限らないので、やっぱりそれがプラスであるとはいかない。でも小説を書く能力に関しては、この点は圧倒的にプラスに働く。そこなんだよ、そこ。

 だからさ。その。外に出るときなんかはこれがすごく苦痛で、つらいんだけど……つらいと嘆いたところで、そして努力をしたところで、これは治るものじゃないっていうのは分かっているから。一生、こいつと付き合っていくしかねぇんだろうな、とは覚悟しているわけで。医者に泣きついたところでなぁ、とも思ってしまう。

 医者に泣きついたところで、やっぱり最終目的地は寛解であり、完治じゃない。一時的に改善されたとしても、ぶり返す可能性はいくらでもある。それに寛解に至る前に、治療を放棄する可能性のほうがずっと高い。まあこれは、全ての精神病に言えることだけどね。脳内の分泌物の異常が原因で起こる病、統合失調症とか双極性障害とかは、精神科に行くべきだけれども。

 引きこもりという点においては、自分は生活に支障をきたしているのかもしれない。けれども。引きこもって外に出ない分には心に支障をきたさないし、気が狂って制御不能になって奇行に及ぶこともないので、まあ今はこの状態でいいのだろうか……と現在は考えている。「精神科行けよ」と自分で書いておきながら、結局は行く気ゼロである。やっぱりここも、他人事のように感じているとこが影響しているのかな。

 そういうわけでまた徹夜で本を読んで、小説を書く。ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジもそろそろ折り返し地点。執筆スピードも、上げていかなきゃだなぁ。