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「自己愛性人格」は「自分を愛せない人々」の闇なのだろうか?


 脳内ディスカッションの議題が溜まっていく一方で、一向に解決/排出されないのは今に始まったことではない。なので、定期的に文章に書いてアウトプットする作業が自分には必要なのである。

 そんなこんな、パンク寸前の煩雑な思考を整理するために文章に書き表そうと、ここ3日ぐらい悩み悩んでいたのが↑の漫画。寝れなくて寝れなくて、朝方にやけくそで書きなぐってみたら……──意外と、これが良かった。2時間半ぐらいで、スッと悶々がひとまず纏まった。

 うまく書けなくて悶々としてた文章も、漫画で一発解決。よっしゃ、次からサボりがちな落書きのリハビリも兼ねて、これで行こう!

 とはいえ漫画のあれは完全じゃなく、すっげぇ省いている。それにこの雑記自体、纏まりきっていない思考とまだまだ不足している知識の下に書いているので、完全ではない。っつーわけで、鵜呑みにはしないように。

 なお今回取り上げるものに関しては「虐待等の過去がない人」「本当に気質的な問題(発達障害含む)に由来すること」だけを前提にしています。誤解なきよう。


・そもそも自己愛性パーソナリティとは


 自己愛性パーソナリティ(以下、省略してNPと記す)と日本語で書くと「なんのこっちゃ」となりやすい。英語に訳すと「Narcissistic personality」、つまりナルシストのこと。

 ギリシア神話の憐れな美青年「ナルキッソス」に由来するナルシストという言葉は、「自分大好きな人」のことを指している。少なくとも日本では、この意味で定着している。

 しかし、精神病理における「ナルシスト: NP」は意味が若干違ってくる(らしい)。

 NPというのは「自分が大嫌い; 何かしらの(当人にとっては)重大なコンプレックスを抱えている」のであり、なので「"大嫌いな本当の自分"を隠す必要がある」ので「"外行きの顔"を取り繕わなければいけない」という強迫観念に囚われている。その結果として「"外行きの顔"を取り繕うことに必死で、常に"自分"が他者にどう見られているかを気にする」状態に陥っている人々を総称した言葉のようだ。

 つまりNPとは自分大好き人間を指す言葉ではなく、その逆の自分大嫌い人間を指す言葉なのだ。

 特徴だけをこのようにあげつらうと、もしかするとこう思う人が出てくるかもしれない。「それって、誰にでも当てはまることでしょう?」と。

 その通り。誰だって少なからず、この傾向を持ち合わせているもの。協調を何よりも尊ぶ文化のある、中国・韓国・日本であれば尚更に! 皆誰しも、周囲の目を気にしながら、自分の襟を正しつつ生きているものである。それが、健全な姿なのだろう。

 ならば、NPは何が問題なのか。それは……まあ、これから書いていこう。


・現実問題としてのNP


 現代において、NPはそう珍しい存在ではなくなりつつある。

 NPを起因とする代表的な病に、「摂食障害」というものがある。が、これはまた更に「境界例」が絡んできて、とてもややこしい話になる。なのでそれはまたいつかの機会にして。

 NPの分かりやすい例を挙げよう。それはInstagramだ。彼処には、NPたちが抱える闇が溢れ返っている。それも全て「インスタ映え」という言葉に集約される。

 「インスタ映え」という言葉には「これさえ押さえておけば、イイネがいっぱい貰える」という意味があり、その裏には「本当に好きなことでも、やりたいことでもないけど、これをしないと周りの人が私を評価をしてくれない」という思いも隠されている。健全でないのは、言うまでもない。

 ならば何故、彼らは「インスタ映え」にこだわるのか? 理由はひとつ。評価に飢えているのだ。

 Instagramに依存する人々にとって、イイネという数字は即ち自分の価値を表すバロメーターで、フォロワー数は自身の存在意義

 イイネが増えれば、自分の価値が上がったということを感じさせてくれる。フォロワーが増えれば、ここに居て良いのだという実感が得られる。ただの数字に対して、そう感じるのだ。

 その数字が右肩上がりであれば、問題はないのかもしれない。が、諸行無常な世の中にそんなことは有り得ない。必ずいつかは停滞か、または落ち目が来るのだ。

 イイネが減れば、それは自分の価値が下がったことになる。フォロワーが減れば、自分というものが誰かに嫌われ、拒絶されたと感じる。……少なくとも彼らは、そう感じるのだ。

 健全な精神を持ち、適度な自己愛と節度を、幸運にも兼ね揃えることが出来た人々は、こう感じるに違いない。大袈裟すぎないか、ただの数字に対して、と。だが彼らにとっては死活問題だ。何故ならば、彼らはそもそも「自分が大嫌い」他人に認められない自分になど、彼らにとって存在価値がないのだ。


・「嘘」と「現実」のギャップ


 つまりNPの一番の問題は「"他者に見られるべくして創られた自己"が肥大化; 自意識過剰化してしまい、「他者が見えなくなる」ことなのだ(と思っている)。ここらへんは漫画に描いた内容ですね。

 NPの人々が一番気にするのは「他者によりよく見られること」である。転じて他者とは「自分の姿を映す鏡」であって、NPである彼らにとっては、目の前に居る人間の内面や性格などどうでもいい事柄なのである。ここら辺が、NP=尊大と言われる原因なのでは。

 そしてNPは「他者によりよく見られること」を気にするあまり、酷いときは嘘を塗り重ねる。元々、外向きの顔は嘘で作った仮面。それに嘘を塗り重ねるのだから……仕様がない。やがて嘘が積み重なると、今度は引き返せなくなる。嘘に嘘を重ね続ける、悪循環が始まるのだ。

 そうして嘘が重なり、出来上がった仮面は「全くの別人」。やがて「本当の自分」が「全くの別人」とのギャップに悩むようになり、葛藤が始まる。それにより二次障害、うつ病といったものが発症したりするわけである。


・NPの解決法/対処法とは


 ぶっちゃけると自分もこの傾向を持ってた人間なんですよね。いや、今でもあるか。だってほら、文才に関しては本物の才のッ(殴

 アーティストだもの。許して。……と開き直ってみたり。

 そんな自分の場合は、そもそも「人間不信」と「お前ら健康な凡人と俺は違う!(脳味噌の欠陥といった悪い意味で」が根底にあって。既にボロボロな自分がこれ以上の傷を負わないようにと、自己防衛のために周囲を敢えて威圧し、近寄らせないようにしていたalways威嚇モードのヤマアラシな類いだった。

 心の弱いとこを踏み荒らされたくなかったし、その隙につけこまれたくなかったし、誰とも分かり合えないと思ってた。それと何よりも、弱いってことを暴かれるのが恐ろしかったんだよね。今もまだ恥だと思っていて、完璧でありたいと思うきらいがあるし。弱点や駄目なとこがあるのは、誰にとっても当たり前のことなのにねぇ……。

 んで、そのヤマアラシアーマーはもう捨てましたけど。当時は本当に、ツラかった……w (とはいえ当時の詳しい出来事は覚えていない。あらかた忘れた。なんとも都合のいい頭である)

 でも……──解決法か。万人に当てはまるものはないだろうしなぁ。俺には分からん。そこまでの深いことは、今は特に考えていないし(2018/04/15現在)。

 まあNPの根底にあるのは「"誰か"との比較; 劣等感/疎外感/異質感」なので、そういう感情を産み出す環境に身を置かない/人との関わりを極力絶つ……なんじゃないのか。少なくとも自分は、それで解決した……のか?

 人が傍に居なければ、疎外感も沸かないし。誰も傷つけんし、人の目を気にする必要もない。気楽なご身分です、本当に。今は幸せ。

 まあ、でもそんなの普通は無理だわな。

 自己愛性人格って、詰みですね。

 となると逆に健康とか健全な状態って、どんなものなのだろうか……(哲学)。