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拙作「空中要塞アルストグラン」シリーズのスタンプ第2弾です。
過激な暴言、および使いどころのないセリフが、パワーアップして帰ってきた!



小説を読み解くのに必要なのは「共感力」ではない。「異なる視点の受容」と「分析力」だ。

 共感が必要。――至るところでそんな言葉が叫ばれるようになって久しい。

 ビジネスには共感が必要。アートには共感が必要。音楽には共感が必要。会話には共感が必要……。

Angry cat

 うっせぇ!!

 個人的には「過度な共感は悪い結果をもたらすだけ」だと考えている。2016年にはこんなビデオ&本も話題になった。

 なんにでも共感してなんにでも同情する人は「目先の悲劇を解消することに注目」して「解消するために起こすアクションが中長期的に与える影響を鑑みない」ので「状況を悪くするだけだ」、という主張です。

 イラク戦争は『困っている人がいる、かわいそう!』っていう理由で突き進んでいったけど、その結果『困っている人を殺戮した』だけだったよね。立ち止まって、冷静に考えればこんな無茶苦茶な事態になることは容易に分かったはずでは? ――っていう。なので「共感」ではなく「客観的に事態を分析し、合理的な“思いやり”を示すべきだ」と著者は訴えている。

 自分はおおむねこの主張に同意している。安易に共感すべきではないし共感に突き動かされて動くべきでもない、と。

 しかし、世界は年々「共感」を重視する方向に進んでいる。「共感マップ」「EQ」という言葉がビジネスシーンでも浸透してきているらしいし。共感と同情によって推し進められる「#MeToo」「キャンセルカルチャー」も、すっかり身近なものとなっている。

(※自分は、数値によって人の善性を判断しようとするこの概念が大嫌いだ。この概念を軽率に使う人間は問答無用で軽蔑する。一応、EQという概念を広めて飯を食っているダニエル・ゴールマンの本はブックオフで買って読んだが、その内容は唾棄すべきもので溢れかえっていたし。今後もこの「クソ・オブ・クソだな、救いようがない」っていう意見を変えることはEQに関しては無いと断言できる)

 ただ、共感も使いどころだ。ビジネスシーンにおける「共感マップ」は、利益を上げるための堅実な戦略ともいえる。良くも悪くも世界を揺るがせた「#MeToo」によって、古く悪いものが切り捨てられて世界が少し良い方向に動いたのも事実だ。

 けれども「共感」というブツは、有益な方向に活きることよりも負のスパイラルにハマってしまうことのほうが多いような気がしなくもない。

 例を挙げよう。昨今のついったらんどでは「表現規制派ミサンドリー」Vs.「ミソジニーな表現の自由戦士」ないし「貞節を重んじ、綺麗で安全な世の中が欲しいというお気持ちを振りかざす軍団」Vs.「シコる権利とおかずを守りたいというお気持ちを振りかざす軍団」による不毛な戦いが勃発しているが、これも共感の暴走により誕生している焦土だ。

 対立する両者どちらにも論理的整合性は欠片もなく、お互いに感情論を振り回しているだけ。ゆえに平行線のまま何も解決しない。

 そして不毛な戦いが主戦場で行われている横では「我々は悪くない、我々は正しいんだ。それなのに――!」と傷を舐め合っている地獄絵図のような光景が、さも当たり前のように毎度繰り広げられている。クソだな。

 それから「#MeToo」は世界を良い方向に変えた反面、「キャンセルカルチャー」という負の遺産を世に送り出してしまった。今や「炎上」した人、企業は「キャンセル: 社会的死」ぐらいのダメージをいちいち負わないと許されない……――いや、そこまで堕ちても永遠に許されないだろう。

 だが「炎上」してしまった人々に石を投げて、さらに追い詰めていく人々は多くの場合「直接的な被害者」でも何でもない、ただの「気楽な聴衆」だ。この状況は何かが変だ。イエスを処刑したユダヤ人のような気持ち悪さがある。クソだな。

 そして世界規模で言うと「マイノリティ論争: LGBTQ+」がある。特にT、中でも「MtF」は世界中どこでも議論になる。彼女らないし彼らを「女性」の中に含めて、「女性用更衣室」や「女性用トイレ」といった女性の安全領域に踏み入らせるべきか否かという議論は、かなりセンシティブな議論だ。肯定派と否定派、もしくは「もう全部個室にしちまえよ!」という三種におおよそ意見は分かれていて、どの派も己の立場を譲ることは無い。

 が、近年では当事者(であるかどうか、本当のところは怪しいが……)の声が良くも悪くも大きくなりつつあり、特にヒステリックに苦痛を嘆く“ノイジーマイノリティー”という声ばかりが力を持つようになった(「マジョリティーに受け入れてもらう側であるマイノリティ当事者である我々も妥協すべきところはあるはずだ」といった中庸な意見は、不思議なほど表舞台には上がってこない。しかし現実では、SNSで力を持ちやすい過激な発言の方が少数派であり、本当の当事者でそのような過激な主張をする人は少ないはずなのだが……)

 ノイジーマイノリティー、ないし過激な活動家である彼女らまたは彼らに反対意見や異論を述べようものなら、取り巻きたちからフルボッコにされ、殺害予告まで送られる世の中になっている。それこそJ.K.ローリングのように、ちょっとした言葉の選択ミスで「現代社会の敵」認定されてしまう場合もあるのだ。

 しかし、このMtF論争は「センシティブであるから」という理由で議論を避けている場合ではない。現実に「MtFを自称する性犯罪者が女性用トイレに入り、トイレの個室に女性を追い詰めてそこで暴行を加える」「女性専用脱毛エステに性転換手術を受けていないMtF活動家がサービスを求めたが、エステティシャン側がサービスを拒否をした結果、活動家『差別された』という訴訟を起こした(※ただし活動家が敗訴している」といった事件や騒動が起こっているのだから、社会は早急に何らかの手を打つ必要があるのだ。だが冷静さと境界を欠いた当事者の見当違いな悲鳴に、ダメな共感をしてしまう人々があまりに多すぎて、必要な議論が進まない現状がある。クソだ。

mind control

 ……人間とは、とても愚かな生物である。本当に。

誤った「感情移入」が、誤解と分断を引き起こす

 そういや昔、こんな曲があった。


 この曲が出たあたりから「あー、もう。ACっぽい、そういうファッションネガティヴはお腹いっぱいだよ……」となり、VOCALOIDシーンを積極的に追わなくなった。そういう意味では思い出のある曲だ。

 そして、なぜここで「ロストワンの号哭」なる曲を取り上げたのかというと、それは注目したい歌詞があるからだ。

数学と理科は好きですが 国語がどうもダメで嫌いでした
正しいのがどれか悩んでいりゃ どれも不正解というオチでした

 共感ができないので、国語の授業で取り扱われるような「登場人物の心証」が分からないという意見。

 正直なところ自分は「国語の教科書に載ってるレベルの作品なら、作中にヒントが分かりやすく散らばってるはずだろ。そのヒントを拾い集めて仮説を組み立てろや」と思ってしまうので、よく理解できない感覚ではあるのだが。こういう意見を得るに至るであろう理由はふたつほど思い浮かぶ。

  • 「~かもしれない」という曖昧な答えではなく、「1+1=2」のようなハッキリした答えが欲しい。
  • 読み手が登場人物に「感情移入」をしようとした結果、あるシーンで「どうしてこの人物はこんな行動をするの? 自分だったら絶対にこんなことしない。納得がいかないよ!」となり、そこで拒否感を覚えてしまうか、何が正解なのかが分からなくなる。

 このどちらかのパターンだろう。

 前者の場合は、高確率で自閉症スペクトラム障害のどっかしらにいると思うので「認知改善のためのカウンセリングとか受けて、頑張って克服してください」として。問題は後者のほうだ。

 登場人物、主に主人公の立場に自分を投影して、そういうスタンスで小説を読み進めていく人は多いと聞く。が、書き手側の立場からすると「それはちょっと……」と思わなくもない。なぜなら登場人物は「あなた」の代弁者ではなく、あくまで「物語において何らかの役目を帯びた登場人物」でしかないからだ。

 なので「あなた」に置き換えるのではなく、「ドラマに出演している俳優を観るように」または「友達という他者を眺める」程度の感覚で読み進めてほしい。そして「主人公に共感しよう」とするのではなく、「主人公がなぜそういう行動をするに至ったのか、その理由を分析して理解するよう努める」ことを心がけてほしい。

 たとえば、サメ映画やホラー映画には必ずと言っていいほど「いや、いくらパニック状態にあるとはいえ、お前、このシチュエーションの中でどうしてそんなバカな行動ができるんだよ!?」という理解不能なキャラクター(※だいたい死ぬ)が登場する。そういうキャラクターを「いや、状況的に分かるけどさ。けど!!」という視線で見たとしても、そいつに感情移入はしないはずだ。

 主人公クラスにも、そういうフラットな視線を向けて読んで欲しいのである。「自分と同一視=誤った感情移入」をして「こんなこと、自分だったら絶対にしない! 理解できないよ!」とヒステリーを起こすのではなく、「どうしてこいつはこんな行動をしようと思ったのだろう?」と考えながら観察するようにして欲しいのだ。

 ……――そしてこれはフィクションだけではなく、現実でも同様。「あなたの傍にいる誰か」は必ずしも「あなたと同じような背景」を持っているわけではなく、そして「あなたと同じ意見、同じ思想」を持っているわけではない。必ずしも、あなたの意見に同意してくれるわけではないのだ。

 同じ家や環境で生まれ育った兄弟姉妹でも意見の相違は起こる。親と意見の衝突が起こることだってある。となれば全くの他人である友人や恋人、知人、同僚、上司や部下なんていうのは意見の食い違いが起こって当然だと考えるべきだし。猫の考えていることなんて人間に理解できるはずもないと思っておくべきだ。

I just as shocked as you are! WHO could have done such a thing?!

 しかし、どうしてだろうか。最近はすぐに「なんで私の意見を理解してくれないの?! この裏切者! ふざけんな!!」とヒステリーを起こす“繊細ヤクザ”が増えすぎているような気がしなくもない。男女年代を問わず、目立つような気がする。

 そして繊細ヤクザたちの言動に触発されて、繊細ヤクザにどんどん肩入れしていく聴衆たちがいる。そいつらは繊細ヤクザと一緒になって『敵陣営』を攻撃していく。非常に厄介だ。

 そんなこんなで「一方的に感情移入をしたり、一方的に感情移入をするよう求めてきたり」する境界性人格障害のような横暴な言動を取りがちな人が増加傾向にある現在。その結果、同じ意見を持つ同士で固まったり、異なる意見を持つ相手を不当に攻撃したりといったことが日常的に起こっている。

 ミサンドリーとミソジニー。ワクチン接種派と反ワクチン派。極右と極左。LGBTQ+と反LGBTQ+。――云わば「分断」のようなものが、ここ数年は当たり前のことのように起こっているし、それがどんどん大きくなって、制御不能なぐらいに膨らんでいっているのだ。そして寄らず偏らずな中間層が疲弊して黙りこくるようになり、世間はちょうどいいバランスを保てなくなっている。


 さあ、繊細ヤクザたちよ。変な共感をしそこねてヒステリーを起こす前に、立ち止まって深呼吸をしよう。そして異なる意見を持つ相手の意図を探り、理解しようとする努力をしよう。議論に臨むのはそれからだ。

 人間になろうよ。論理的に筋道を立てた言葉で思いを伝えるべきなんだ。感情に任せてワンワンと吠えるのはもうやめよう。埒が明かないだろう?

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