1月からチマチマと作っていたアニメが完成しました! ……が、「フラッシュ表現」だけならまだしも「反社会的描写・あろうことか反社会的思想を正当化しているセリフ」「暴力・虐待・流血・殺人といったヴァイオレンスな表現あり」な内容になっちまったので、Youtubeとかニコ動とかにはupせずに、こっちのブログにてチマッと公開しておきます。
この曲の元ネタである「ジェットブラック・ジグ」が「前作にて非道な悪役扱いされた男の視点から、今までの話や謎を解き明かしていこう」っていうコンセプトの作品ですので、どうしてもこういった表現は避けられないんすよ……。だって、あの小説、我慢の限界を越えてキレ散らかしたジジィが人類滅ぼそうと計画する話だから……。
~Special thanks(敬称略)~
- https://commons.nicovideo.jp/material/nc209263
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- Clip Studio Asset Store 出品者の方々
- cgtrader クリエイターの方々
~動画内に紛れている絵画~
- The Garden of Love, Peter Paul Rubens, 1630-1631
- The Last Judgment, Hans Memling, 1466-1473
- Woman Holding a Balance, Johannes Vermeer, 1665
~アストレアが動画内で着ている「ねこのげぼく」Tシャツ売ってます~
曲そのものの購入はBandcampか、各種ストアからどうぞ。
……そんなこんな。製作途中、心が折れかけて大変でした。2月中盤あたりから「あー、これ本当に作り終わんのかなー」ってなって、どうでもよくなりはじめちゃって。その変化が如実に出てるのが1分以降かな。3月に入るとちょっと立ち直って、マシな絵になり始める。それが2分過ぎたあたり。
「寝てる場合じゃないだろうに!!」#イラスト #AeropolisAlusthogrun https://t.co/0ghImbK2TH pic.twitter.com/npRg4u7txR
— 暘 弥涼🚚💨💨💨HINO de ISUZU (@Isuzu_Hinode) March 7, 2022
ネコちゃんは偉大。二次元でも助けられたよ、君たちに(ちなみにこのシーンに登場する猫は「イシュケ」「ビャーハ」の二匹で、ちょうど先々週のサイト連載分に初登場したにゃんずです。二匹合わせて「Uisce
beatha:
直訳すると、命の水。ただしそれが意味するのは蒸留酒であり、この言葉がウィスキーの語源だとされています」って意味の名前になります)。
それから一気に仕上げて、4月からは「色つけたほうが楽なんじゃねぇのか?」と気付き、アニメをモノクロからカラーに変更(そもそもモノクロで書き始めたのは「そっちのほうが楽そうだから」というめちゃくちゃ安易な理由だった)。
そういう感じで「波あり谷あり」な出来栄えになってます。「あっ、ここの絵は虚無の心境だったんだな」とか、そういう視点で見るのもアリかもね。
サムネにする予定だったカット。これはかなりマシな部類。 |
……んで。もともとこの曲「薊と茨」は「ジェットブラック・ジグ」のため(作品全体の構想をまとめるための道しるべというか、小道具のような扱い)に書いたもの。そしてこの動画は、楽曲リリースと共に公開する予定で作ったものだったわけだけど。
執筆中の現時点で既に60万字をゆうに超えている作品(※85~95万字での完結を目指している)を5分半の内容に収めるのは厳しく、このアニメだけだと「なんじゃらほい?」ってなるかと思われます。
まあ、このアニメは「暗号やパズルみたいな入り組んだ歌詞に、答え合わせのヒントを与える」程度の内容だと思って頂ければ幸いです。
しかし。これだけだと本当に難しすぎると思うので、より突っ込んだ内容のヒントを以下に示しておきます。
興味のある方は観ていってくださいまし。
歌詞
愛の園に咲き誇る小さな赤い野薔薇
甘い香を振り撒いて、今日も人を惑わせる
花を摘まれた野薔薇は冷たき煉獄の火
剥き出しの茨がこの手を傷つけていく
何者も受け入れぬ厳格な拒絶
真冬の夜風のような茨の冷たさ
後悔を克える至上の恍惚を
愛欲を否定し、茨の上で踊れ
葡萄などいらないわ、施しもいらぬ
欲しいのはただひとつ、茨の冠だけ
愛の園には今日も堕落が溢れている
自己愛と自己憐憫、死にたがりの嘆き
荒れ地に咲き誇る逞しき薊
私はそれになりたい、薊のような棘に
穢れを振り払い、孤高と為れ
瞋恚に身を投じ、呪いと為れ
怨毒を克える至上の悦楽を
胴欲を受容し、薊の花を摘む
無花果はいらぬ、抱擁もいらぬ
欲しいのはただひとつ、薊の首輪だけ
欲しいのはただふたつ、薊と茨だけ
そもそもの前提
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これは「反・啓示宗教:特にキリスト教嫌悪」の楽曲です。
母ブレア、息子シスルウッド、両者ともに"アーサー・エルトル"という信者(原理主義を極め、過激化した福音派という設定)に危害を加えられているという背景があります。
特に"アーサー・エルトル"を父に持つシスルウッドに至っては、自分の誕生の経緯もあり、そして幼いころに面倒を看てくれていた養父母から無理やり引き離されたこともあり(アニメではブレナン夫妻をカットした)、更に幼少期から家出するまでずっと虐待され続けていたり、それ以外にも色々とあって恨みが計り知れない。 -
タイトルである「薊と茨」は「マタイによる福音書」7章から来ています。
これは要約すると『無花果と葡萄は良い実をもたらすため良い樹で、善人の象徴。薊と茨はろくな実を結ばないから悪い樹で、悪人の象徴。そして薊と茨のような人間は忌むべきものだから焼き払われるべき』という内容のもので、"薊"の名を持つシスルウッドがムッとするシーンが作中にあります。 -
この曲のテーマは「怒りと呪いの連鎖」であり、「怒りに燃え、復讐を果たす者」と「怒りを滾らせ、報復を誓う者」の二つに分かれています。
彼らは彼らの身に降りかかった理不尽な出来事に怒っていて、その怒りを凶行にて晴らそうとする。そしてまた、彼らの為す凶行によって怒りを覚える者も新たに現れる。――そういうお話です。
歌詞について
- ブレイクとかシェイクスピアとかT・S・エリオットとか、英国詩人が個人的に好き。なのでいくつか言葉を拝借してます。
- 「赤い野薔薇」は「ブレア」のことです。なお彼女の本名は「ブライアー」である。
- 「厳格な拒絶」にて拒まれるのは、ブレアが世話になったバーン夫妻が焼いてくるお節介でしょう。彼女は彼女の運命を自分で決めていたため、やがて訪れる未来についてはハナから受け入れるつもりでいたわけです。
- 「愛欲を否定し」で否定される愛欲は肉体的な其れではなく、捨てることになる息子への情念じゃないかなと考えています。
- 「茨の上で踊れ」は「茨の上でだって踊れる狂人になってみせろ」って意味です。
- 「茨の冠」は「復讐という信念に殉じろ」という意味です。
- 「堕落」は色んな意味があると思いますが、一番は「ペルモンド」のことでしょう。彼は堕ちるところまで堕ちた人間だともいえる。「自己愛」も「自己憐憫」も「死にたがり」ってのも、ぜんぶ彼のことです。
- 「薊」は「シスルウッド」のことです。当然。
- 「薊のような棘」はスコットランドの逸話より。何人も咎無く我を害せず、という言葉が作中に登場します。
- 「穢れ」は「取るに足らないどころか、軽蔑すべき愚かな人間ども」ってこと。
- 「薊の花を摘む」とは「綺麗な花の部分だけを攫ってしまい、鋭い棘だけを残す」つまり「人間性をかなぐり捨てて攻撃性だけを残す」っつーことです。
- 「薊の首輪」は「報復を誓う」ことを意味します。
動画の補足
- 「デリック・ガーランドの自伝本」については、今後の連載の中で登場する予定です。
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ブレアが用いた殺害方法は「水を好きなだけ飲める環境を用意したうえで、覚醒剤を相手に打つ」というもの。
ターゲットは覚醒剤によって"強烈な口渇感"を経験し、錯乱も相まって、狂ったように水を自発的に飲むようになる。これによって「水中毒」を引き起こし、間接的に殺すというのが彼女のやり口でした。まあ、単に過剰摂取で死ぬパターンもあったみたい。
尚、彼女に覚醒剤を提供したものの正体は判明しておらず、真相は闇の中だとか……?
詳しい内容については動画内55秒あたりのカットにびっちり書いてありますので、解読してみてね。 - 動画内1分47秒あたり、それら一番最後に登場する小さな短刀は「スキャン=ドゥ」というもの。キルト着用時に靴下の中にブスッと挿して携帯するナイフです。
出先でパンやチーズといった食べ物とかをチャチャッと切り分けるときに使うナイフが発祥ですが、現代では装飾的・象徴的な意味合いしかないでしょう。 - ブレアはお腹にいた息子も道連れにするつもりで自殺を試みたものの、機転を利かせた刑務官によって寸でのところで息子だけが助け出されるという結果に。
- パブを営むバーン夫妻は、ブレアを住み込みの従業員として雇っていたし、その息子のシスルウッドを養子として迎え入れている。そのため一時期シスルウッドは「バーン」姓を名乗っていた。
- シスルウッドの父親であるアーサー・エルトルは「人種差別主義者であり極右勢力の筆頭的存在」として世間に知られていて、その息子であることからシスルウッドは学生時代にずっと周囲から虐げられてきた(尚、シスルウッド本人はコスモポリタン的思想の持ち主であるため、彼もまた父親のことは軽蔑していた)。
そしてシスルウッドは家の中では「殺人鬼ブレアの息子」として、父親や異母兄から虐げられていた。
また彼は「実母の正体が世間に知られたらどうしよう」と怯えながら日々生活を送っていた。
そりゃ頭おかしくなるよね、っていう環境で彼は育っている。 - 黒いモヤモヤした鳥は「アホウドリ」のギルちゃんです。
- シスルウッドは彼の子供がまだ幼い頃に事故に巻き込まれて亡くなっており、アストレアが「ジジィ」と呼ぶ後年の彼は怪物になって蘇った存在です。いうなればゾンビ。
- 指令を運んでくるカラスはギルちゃんとは全く異なる別の個体。
……こんな感じで、かなり毒々しい意味を帯びた歌詞です。パッと見もかなり毒がきついけど、分解していくとどんどん濃くなっていく。そういう曲。
これには希望も救いもありません。ただ怒りと恨みがある。それだけのうた。
この曲を書き上げたことで「なんか、もう、やりきった」感が出たぐらい、エネルギーを使った作品でもあります。歌詞を書いてる段階でググッとエネルギーを食い潰していく。そういう怪物だった。アニメ製作ではもっとエネルギーを削られた。
なのでせっかく頑張って作った(?)MVを、一般的な動画投稿サイトには到底載せられない出来になってしまったのが残念極まりない。でも、こんな内容じゃ反社会的すぎて無理。「夜に駆ける」程度でギャーギャー言ってた世間の目があるメインストリートに、こんな毒物を放流なんてできません。
というわけで、この個人ブログにちみっと載せておきます。