我が世の春とばかりに醜い言葉で騒ぎ始めた連中が今、見たくなくとも目に留まるようになった。しんどい。マジでしんどい。「しにt—」と呟きかけて「ß――――……はぁ」と誤魔化すことが増えた。
端的に言うと、高市早苗だけは本当に嫌だった。前回の自民党総裁選のとき、中継をリアルタイムで見ていたんだけどさ、石破茂だって発表されたときに本当にガッツポーズをして「よかったああああ!」と叫んだぐらいには高市早苗が嫌だった。
高市早苗本人ももちろん嫌だ。裏金云々もだけど、ついた嘘の数はキリがなく、なにより総務大臣時代の蛮行が心象悪すぎるところが無理。公然と恫喝しておいて「知らない」だの「捏造」だの、恐ろしい。
でも一番嫌なのは当の本人ではなく「熱心なフォローワーども」のほうなのだ。
真っ先に思い浮かぶのは杉田水脈。杉田水脈曰くLGBTは生産性のないゴミらしい。それに女性はいくらでも嘘がつけるから自称性暴力被害者の声には耳を傾ける価値もないそうだ。……こんな価値観のひとと共存なんて無理すぎる。
それにネット上に存在する熱心な高市信者の醜さといったら、形容する言葉さえ見つからないような有様だ。
外国人排斥論とそのアジテートの過激さもとい醜悪さは「高市総裁就任」を境に劇的に悪化した。無差別的に向けられる殺害予告のような様相を呈してさえいる。すぐにこの国を立ち去ればいいだけの観光客はともかく、一時的なり永住なり、今現在この国に滞在している外国出身者が脅威を覚えるのは無理もない。
それ以外のマイノリティに向けられる敵愾心も常軌を逸している。
LGBTQA+は「ありもしない特権」をあると断じられて悪魔の証明を迫られている。
また高市信者のなかには精神障害は甘えで、発達障害も存在していないと考える者もいて、彼らはそれらを自称する者たちは何からかの給付金を不当にせしめる詐欺師と見ているようだ。
身体障害者は表立って非難しにくいため今はまだそれらを非難する声は少ないが、いずれそのうち出てくるだろう。車椅子ユーザーは邪魔だから外に出るなとか、人工肛門なんて知らねえし多目的トイレなんて役所にいらねえからその分を市民に分配しろとか、知的障害は生かしておくなとか……すらすら思い浮かぶ自分自身にも腹が立つよ。そんだけの数の汚い声を見てきたってことだから。
そうやってあらゆるマイノリティを排除した先には「女はズボンを穿くな、外で働くな、子供を産んで産んで産め」「男が化粧などけしからん、泣くな弱音吐くな、働いて働いて黙って死ね」って世界が待ち受けているに違いない。
もうむり。この嘆きを過剰な悲観だと嘲笑する世界がイヤ。
でもアメリカ見てみろよ? 日系人の強制収容と同じことしてる最中だぞ? これが本格的なカオスの幕開けの足音でなければなんなの?
……はぁー。もう嫌んなっちゃった、なんもかんもが。
そういえばこの前、江川紹子氏の講座?番組がNHKでやってたんだよね。そこで江川氏がオウム真理教のことを「カナリア」と称したことが強く印象に残っている。味方が敵か、白か黒か、テロリストの味方か愛国者かを過剰に問われるカルト的時代の到来を警告していたカナリアであると。
その通りだなと強く感じている。かつて世間はオウム真理教の「空中浮遊」を面白がって笑い、そこに潜んでいた危機を見過ごした。自分もアノン系の陰謀論に対して「DSは任天堂だろ?(笑)」という態度をかつて取っていた。そこにある狂気と異常性には気付いていたのに、重大視はしていなかった。
怖いんだよ、本当に。今は怖い。
どこにも属さずフワフワと漂っていたいだけなのに。男が女かを決めろと迫られたり、右か左かに割り振られたり、勝手に断定されたり。ウンザリだ。
自分を守るためだけなら目を閉ざすこともできる。でもその道に逃げたとき、別の暗闇が先で待ち受けているだろう。そこに落ちたら本当に終わりだ。
幸い、今はWoY-Rの製作作業があるから気を紛らわせている。
シナリオが折り返し地点にそろそろ到達するので結末を真剣に考えなければならないターンにきたんだけど、どういう結末にしようかを今、悩んでるとこ。
小国エルサムガスクを守る砦となり、遍くものを庇うの盾となり、負担を半分受け負う支柱となり、不滅なる領域へと若くして足を踏み入れることになるラニャーマの中に、一体どんな心を入れるべきかを決めかねている。