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暗い森の奥底から声が聞こえてくるのだとしたら、それは人間の蛮行を呪う地母神の悲嘆だと思う。

 無色透名祭Ⅱに参加してた。といっても今回は動画だけ投げてそれで終わり。ひとが作った大量の動画を発掘して楽しむ……――だなんて気力、今年は無かった。

 前の記事で一番言いたいことは書いたから、その問題についてはここでは取り扱わないけど。ただ、本当に悲しくて。お祭り騒ぎに乗じて楽しむなんてことをしようと思える気分じゃなかったのだ。

 そして、それはこの曲を作っていたときも同じ。今回のこの曲は「逆再生すると日本語として聞こえる」というギミックがあるけれど、このギミックそのものは単に「政治的すぎる歌のインパクトを軽減させるために挟んだワンクッション」ぐらいの意味合いしかない。

 分かろうと思う人にだけ伝わればいいよと、そういった諦めを込めて、歌詞を逆にした。ローマ字逆転だと分かりやすすぎるから、IPA国際音声記号という更なるワンクッションも挟んだ。

 そしてYoutubeで公開したのは、歌詞の解答。でも、それだけじゃ分からないよという方向けに、ここに備考を書いておく。知りたくなったという人だけ、目を通してもらえればそれでいい。

日本の習俗は結果的に「自然環境を守り、維持する」ことに貢献していたが、人間都合の官僚的合理主義によってそれらを安易に打ち捨てた結果としての今がある

 この前の朝ドラ「らんまん」の中でも言及のあった民俗学者、南方熊楠。彼が神社合祀令に反対し、鎮守の森の保全を頑なに訴えていたということは知っていたのだけれど、その彼が当時は政府から腫れ物に触れるかのような扱いを受けていたことは浅学ゆえ知らなかった。それは朝ドラの中で初めて知ったことでした(尚、ドラマの中で万太郎は南方熊楠に好感を覚えていたものの、現実の牧野富太郎はなかなか辛辣な評価を下していたとかなんとか……)。

 なら、曲の冒頭に出てくる「暗い森」って鎮守の森かっていうと、別にそういうわけではない。実を言うと、暗い森っていうワードのほうが先にあって、そこから鎮守の森というワードが連想されただけというか。まあ、そんな感じだよ。

 自分の作品、特に楽曲のほうはなぜか「暗い森に潜んでそうな魔女っぽい(人里から追われて森に逃げざるを得なかった異端の女性を魔女というなら、自分も似たようなもんかという気もする」とか「樹海で聴きたい」とか、なんだか奇妙な形容をされることが多かった。なら他者が言うところの「森」って何だろうって思い、ちょっと考えてみたのがコレの歌詞ともいえる。

 人間とは一線を画した、何か別の存在の声を引き下ろしているようなもの。そういう捉え方をされているフシはあるのかもしれないなと、そう感じた。だったらヒトでないその声を下ろしてみようやと試みて、改めて考えた。

 そうして出てきた言葉が、記事題のもの。鬱蒼と生い茂る薄気味悪い森から声が聞こえてくるとしたら、それはきっと人の支配する世を見て悲嘆に暮れる何者かの声だと思った。その後に齎される悪影響をろくに考えもせず無節操に環境を破壊して、その竹箆返しを「環境破壊に加担したわけでもない誰か」が喰らってる、そういう世を嘆いていると……。

 「かつて狼は神だった」なんて歌詞を書いたけど、狼が神であったかどうかはどうでもいい。西側のことなのか東側のことなのか、そういうのも特に関係ない。ただ、狼という肉食獣の個体数を減らしてしまったのは人間で、狼が減ったことによって狂い出した生態系がどこにでもあるよね、ということを言いたいだけ(狼を保護して増やせば解決するのかというと、そう単純な話でもないのが「自然」である)。

 一過性のムーブメントや信仰心から誕生した「狼の毛皮や頭蓋骨が欲しい」という欲望によって狩りが始まり、それが次第に人間都合の身勝手な理由からの射殺や駆除へと取って代わり、そのうち開発に伴う環境破壊が始まって狼の生息域が縮小もとい消失していった。

 その結果、捕食者がいなくなって増えすぎた鹿による食害のせいで、山林が調和のとれた状態を保てなくなり山崩れが起こりやすくなった。そして異常気象といった要因も合わさって、食いっぱぐれることが増えた猿や猪や熊が人里に降りてきて、そこに出くわした人間を襲うことも増えている。今、そういう実害となって「狼を絶滅させたこと」が市民に返ってきている。少なくとも日本ではそういうカタチでの「ツケ」が回ってきている。

 肉食獣を狩り尽くしたということの他にも、人類の蛮行はある。アマゾンでは、生態系のことも先住民族のことも構わずに破壊する者たちがいて、そうして破壊されたアマゾンの環境は大陸を越え、アフリカ大陸のギニア湾やユーラシア大陸のステップにまで悪影響を及ぼしている。モンゴルの草原地帯での大規模な火事、パキスタンの大洪水は個別の現象ではなく、連動しているもの。同じうねりの中で起きている別種の異常気象というだけ。

 大いなる秩序=地球環境という大自然が乱されていて、それを嘆いている。つまるところ、そういう歌詞でした。

 しかし……「カーボン・クレジットは新たなる金脈となるか?!」と騒ぐ拝金主義者がいる限り、人間の世には期待が持てないかな。かといって自分にできることは、嘆くことの他には何もない。あるにはあるが、そんな小さな力がどこまで「強大な自然」に影響を与えられるのかなんて期待もできない。小さいことを積み重ねて、多くを欲しがらないというそれだけのことしかできない。

 それから、まあ……――他の意味合いもあるよ。特に後半。でもそれについては深く書かない。この曲を書いていた時はただただ悲しかったのだと、それだけをここに残しておく。そして今も続いている。

 嫌だな、本当に。何もかもが、本当に嫌だ……。