先日、バスに乗ったとき。たまたま後ろの座席に乗ってたひとの会話が聞こえてしまった。たぶん70すぎのおばあさん二人組。
他人の会話なんて聞き耳立てるもんじゃないよなぁ、と分かってるけども聞こえちまったんだから仕方ない。とはいえ、そちらに意識を向けないよう努力はしていたんだけど、ある言葉が出てきてから気になってしまい、そこからはがっつり盗み聞きしてしまっていた。
二人組のうち、どっちかのおばあさんが言った。「LGBTQの人たちっているでしょう」この言葉を聞いた時、反射的に身構えたのをよく覚えてる。というのも、イヤな予感がしたから。気持ち悪いとか、少数派のくせに声がでかいとか、まあそういう類の罵詈雑言でも出てくるのだろうか、と。差別発言で更迭された政務官のこととか、岸田ちゃんの時代の潮流を読めてないあまりにも残念過ぎる答弁とか、最近はそういう『火種』もあったしね。
ただ、幸いなことに予想は外れてくれた。そのおばあさんはたしか「あのひとたちが本当に可哀想でならない、同性婚なんてさっさと認めたらいいだけなのに(※うろ覚え)」的なことを言ったあとで、続けてバッサリとこう吐き捨てていた。「日本は海外よりも10年以上も遅れている。政治家はジジィばっかりだし、考えが古すぎる」と。
前後の会話内容から察するに、70代かそれ以上であろうおばあさんに「ジジィばっかり」「考えが古すぎる」と斬られる“日本の政治家”ってやっぱりヒドいよな、って思った。あの言葉には心の中でこっそり頷きまくっていた。
日本ってさ。「選挙に参加せよ、投票せよ」と言われても、清き一票を預けるに値する投票先がないんよな。右も左も中道も関係なく、あらゆる議員連中が信用ならなさすぎるから。統一教会に神社本庁、WBPC疑惑とか出てきちゃうと、もう……。
(注:俗に「暇アノン」と呼ばれている集団の言説には賛同しかねるどころか軽蔑しているし、連中を支援するつもりなど毛頭ないものの。共産党など極左団体がNPO法人の皮を被って税金を貪ってるのは事実だと思う。また、それはひとえに、役所の「面倒ごとはNPOに丸投げしちゃえ★体質」が原因。そういう、NPOに丸投げして行政の負担減ないし責任逃れをするの良くない。本当に良くないですよ。目的完遂のプロセスにおけるコンプライアンスの著しい無視、五輪談合といい日本の行政はそれがヒドすぎるんだぃ!)
まあ、政治家に関する話は措いといて。帰宅後に「そもそも、なぜ同性婚に関する議論が進まないのだろうか」とリサーチしてみたところ、海外と日本では『議論』の背景にある事情が異なりすぎることが見えてきたので、これを備忘録として残しておくことにする。
欧米諸国における議論の焦点は「宗教による支配を受容できるか、それを拒むか」なのかもしれない
つい数日前にBBCで興味深い記事を見つけた。
キリスト教といえば「同性愛は禁忌」という印象がある(と同時に、その一方で少年に対する聖職者の性暴力も溢れているという悪印象もある)。そのキリスト教の一大宗派であるカトリック教会の頂点に立つローマ教皇が「同性愛者の権利を国は認めるべきであり、同性愛者の婚姻の権利を支持している」と表明したわけである。そしてイギリス国教会の大司教などもそれに同意したと。
ちなみに、同じくBBCに載っている岸田ちゃんの記事はこちら。
岸田首相、性的少数者蔑視の発言した秘書官を更迭 - BBCニュース (魚拓) |
岸田ちゃんより保守的そうなイメージのある教皇さまのほうが寛容な見解を示してるって、どういうことだってばよぉ……?!(困惑)
まー、ひとまず岸田ちゃんのことは措いといて。ローマ教皇の記事の話に戻りますと。
ローマ教皇は「同性愛者の婚姻の権利=市民婚姻を支持している」といった旨を表明したわけですが、その一方で「宗教儀式としての結婚を、カトリック教会としては同性愛者に認めることができない」とも言っている。どうやら欧米諸国における議論は、この点がミソらしいのです。
つまり、欧米諸国における同性婚の議論は「“結婚”とは『国が国民に保証する基本的な権利であり、法律に拠るものである』なのか、それとも『宗教側が信者に施す宗教儀式のうちのひとつであり、経典に拠るものである』なのか」という二極が設定されているものであるようなのだ。この点が日本の議論と大いに異なっている(日本の場合は「国籍・帰化」や「配偶者控除」、「生殖可能性」という点が取り沙汰されることが多い)。そして欧米諸国というか、ヨーロッパのほうで同性婚の議論が進みやすかった点も、これが要因なのではないかとも考えている。
ヨーロッパのほうでは年代を問わず「敬虔な信者/原理主義的な信者」の数はめきめき減っているらしく、信仰を持っていたとしてもそれは「ゆるーい信仰」であるか、または「地域コミュニティで波風立てずにやり過ごすための建前」みたいなものであるっぽよ。そして宗教に強い忌避感を抱く層=無神論者もかなり増えているらしい。
また「同性婚を認めない」という態度は「宗教に支配される生活を好む」ことと地続きになっている側面があり、その点を厭う人々が多かったのではないでしょうか。
要するに「欧米諸国における同性婚の議論」って、宗教に人生の重大なイベント(かどうかは人それぞれかもしれないが)を支配されることを幸福だと感じるか、非常に不愉快だと感じるかのリトマス試験紙だった。そして多くの人々は「宗教に人生を支配されてたまるかよ!」と唾を吐いたということ。
その結果、ひよったヴァチカンが「きょ、教会としては、た、たっ、建前上っ、ど、同性愛なんて、み、み、認められないけどっ! でも、若い子たちに嫌われて、キャンセルカルチャー砲を発動されたら困るからあぁっ!! 市民婚姻は認めるという方向で逃げ道を用意しておきまあああァァッス!!」と声明を出した。たぶん、ローマ教皇の発言ってそういうことなんだと思う。まあ、カトリックっていつの時代もそんな感じだしね。
ちなみに。ヨーロッパ側の同性婚反対派の意見としてよく見られたのは、やはり「結婚とは尊く清いものであり、これは神のもとにのみ許されるものであるべき」という論調。そこから「だから経典に従うべきであり、となれば経典では同性愛が禁じられているのだから同性婚を認めるべき理由などない」か「だから同性婚の議論云々以前に、国が結婚を認める制度そのものを廃止すべきだ。結婚という神秘を宗教の下に戻そう」という二つの方向のいずれかに分岐するという流れがテッパンのように感じられた。――うーん、このような意見は宗教的でない生活を送っている多くの現代人からは賛同を得られにくいものですよねー。
その次に、反対派の意見として多いのが「同性愛は生物として間違った行いである。生物は生殖し、子供を増やすために存在するのだから(以下略」というエセ生物学を持ち出した話。これは各所で何度も論破されていることなので、割愛。
ともかく。欧米諸国にいる同性婚反対派のトンデモ意見(と自分は感じてしまうが、当人たちは真剣であることを忘れてはならない)を見れば、21世紀における自由と民主主義の世界に生きる一般人の大半は賛成の側に転じるかなって気がする。
結婚が神秘であるとか、結婚は神との契約だとか、宗教儀式として行われた結婚以外を神は認めないとか、そういう主張を聞くとなんだかゲンナリしちゃうよね。「頭にアルミホイル巻きかねない思考回路を持っている連中に邪魔されてるせいで結婚できない人たちが居るの? マジで? それ、理不尽すぎじゃない??」って思うよ。
んで、そういう視点で日本を見たとき。「結婚」というものに絡む宗教的な要素が限りなく薄い日本は、ある意味においては恵まれているというか、進んでいるともいえるのかなとも感じた。
日本において、結婚式場の『チャペル』ってイマドキな言葉で言うなら『映えスポット』でしかないもんね。神前結婚式すら、ただの『映え』だよ。ディズニーランドのパンナコッタ?的なあれなんて、究極の『映え』じゃん。つまるところ日本の結婚式に求められてるのって『映え』だけなんだよ。
チャペルで式を挙げるジャパニーズのみなさん、雇われの牧師さんだか神父さんだかの前で「病める時も健やかなる時も~」って誓いあうけど、誰に誓ってるかなんて考えてないっしょ。せいぜい「お互いに誓い合う」的な認識なのでは? キリスト教の文脈からすると正解は「神に誓う」なわけだけど、多分そうではないジャパニーズの感覚はそれはそれで正解だと思ってる。
それに日本の場合、施設提供側も「結婚式は映えればいいし、挙式する当事者たちが満足できるかたちが正しい」っていう視点を持っているとこが多いから、同性カップルの挙式も欧米諸国ほど難航せず挙げさせてくれるのでは(ただし「前例がないから」というしょうもない理由で断られるケースもあるとか。前例ぐらい作ればいいだけだろ……)。結婚式というイベントがさほど宗教に縛られていないので、しがらみも少ないんでしょうね。それに宗教的な理由をもとに施設提供を頑なに拒む施設のほうが日本においてはレアだとさえ思う(昔はさておき、今は少ないのでは? ただ、田舎のほうは分からんが)。
なので、この国で同性婚が認められないこと、その議論さえも進む気配がないことが不思議で仕方ないんですよ。さるアンケート調査によると、国民の半分以上は「同性婚に賛成」らしいじゃないですか。なのになぜ?
「日本の政治家はジジィばっかりだし、考えが古すぎる」
これにつきる。明治時代で頭が止まってる連中のなんと多いことか。
百年以上前の常識からアップデートできてないんだろう。とっくの昔に現代科学で否定されている「常識」を、未だに引きずっている連中が多い。そして、それを是として増長させようとしている悪しき宗教法人が多すぎる!!
宗教法人が政治家を買収している。だから政治家は害悪な宗教法人のほうを向く。連中は国民なんか見ちゃいない。
宗教。結局、一番の癌は連中なんですよ!!
なのでここは欧米に倣って「宗教による支配を受容できるか、それを拒むか」という軸で同性婚に関する議論を見ていったほうがいいと自分は考えます。政教分離、そこが大事!!
その他
個人的には「男女の二極」とかいうものに縛られるのが嫌なので、ぶっちゃけると「婚姻は異性同士が前提で生殖可能性ガー」って言説を聞くと「ああああああぁぁぁっ!!」と頭を掻きむしりたくなる。なので正直なことを「同性婚」という言葉にも嫌悪感を抱いている。異性、同性って……きっしょ。
なんだろう。そんなに「性」に縛られる必要あるますか? あるの? えぇ~……きもい。
まあ、そんな個人的な感情はさておき。同性婚は反対する理由が特に思い浮かばないので賛成です。どうせなら同性婚と養子縁組の推進を抱き合わせで進めてもええんとちゃう、ぐらいに思ってる。ただし「精子提供や代理母出産で子を持つ」ことは倫理的な問題が発生すると思うので反対。でも、反対ってそれぐらいだなぁって感じ。
同性婚カップルには生殖可能性がないから国が保護する必要性がない、っていう意見をこの間に見たけど。でも、同性婚カップルが養子の引き取り手になる可能性はありますよね? だったら国は積極的にサポートしていってもええんじゃないのかって、そう思うんですが。個人的には、不妊治療のサポートよりもそっちを拡充するべきとさえ感じてます。
35歳以下の不妊治療は応援できても、それ以上の年齢になるとちょっと……って思うし。将来生まれる"かも"しれない子供よりも、今いる子供たちの幸福のほうを優先してほしいなって、そう感じます。そっちに財源を振ってほしい。
にしても……――子供ってどうしても作らなければならないものなんでしょうかね。地球規模で見りゃ、むしろ少子化こそ歓迎すべき未来なような気がしなくもないんですけども。
なんだか世の人の言ってることはよく分からないことばっかりです。世間様の意見を見ていると「どうしてこんな考えに至るんだろう、きっしょいなー」って感じることが多々ある。まあ、自分の感覚が世間一般と大いにズレているだけの話なんだけどね。
あー。あと「少子化の本質」って、適齢期の若い世代にお金がないとかが原因でなく「一極集中によって都市がアリの巣になり、強者が『女王蟻』になって弱者が『働き蟻』になり、強者しか子供を成せない環境になってしまった」っていう社会構図そのものが根源にあると思うんですよ。若い世代にお金配ればどうにかなるんじゃなくて、金を持ってる若くて強い世代を都市部から地方に蹴り出す、つまり都市に集まりすぎてるモノを地方に飛ばしてパワーバランスを改善するしか解決策が無いんじゃね、とかと考えてますが。インターナショナルスクールとかを超ド田舎に移設したら、塾とかタワマンがその近辺にできて、商業施設も増えて、交通の便も改善して、経済が動きそうですけどね。ね?
いや、そんなことないか。