2022年07月06日に公開した記事です。日付のみを改めて更新
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自分は「目に見えない概念」ってものがとにかく大好きです。揺れ動く人の心、神という存在を希求する精神、様々な祈りのかたちなど。しかし自分にはあまり共感性が備わっていないこともあり、それらに臨む姿勢は「寄り添う」とかではなく「分析する」ものでしかない。
また自分は、そういう視点と態度で小説も書いている。エゴやプライド、人情、誰かに刷り込まれた価値観、信仰、恐怖など。目に見えないモノに振り回される人間の姿。そんなものが好きだし、それらを用いて共感や癒しを提供するのではなく、挑戦的な視点を提示する態度であり続けたいと考えているのだ。
で、今から七年前に書き上げ、昨年に再改訂版をリリースした「神ノ禍」もそういう側面を持った作品だった。ジェンダー観というものを故意に突っついている描写がいくつかある。そんな「神ノ禍」の世界、つまりシアルン神国という仮想の箱庭に根付いているジェンダー観について、軽く書いておこうかと思う。
【留意事項:当初「軽く書く」つもりだったけど。書きすぎて、27,000字を越えちゃいました。引き返すなら今ですぞ】
「女神」のみが自然の中に存在し、「男神」というものがいなかった古代世界を経て
魔術「アル・シャ」に長け、未来を知る預言者でもあったオブリルトレの女王は、 のちに神秘と融和と性愛を司る「宵闇の女神ノクス」と同一視されるようになり、 いつからかその名は忘れられ、歴史の中に消えていった。 そしてシアルの女帝は自らを「光明の女神シサカ」の末裔であると名乗る。 しかしシサカが司るのは「好戦と不和と破壊」であり、 一方的な逆恨みに任せオブリルトレを討ったシアル王家がもたらしたものもそれだった。 |
シアルン神国には、似て非なる神話が2つある。土着の自然信仰の流れを汲んだ「旧約神話」と、皇位に正当性を与えるために編纂された「新約神話」。この2つだ。
旧約と新約の違いは巻末付録に収録したので、そちらを参照してもらうとして。こちらでは逆に両者に共通する特徴を上げるとする。ちなみにそれは「男神という概念がそもそもない」という点。
作中では匂わせる程度にとどめて明確には書いてないのですけど、あの世界にはどことなく「男ってのは駄目だね、女のほうが能力は優れてる」っていう認識が蔓延っています。
ユインが同郷の幼馴染であるクルスムとファルロンを比較し、女であるクルスムをやたら高く評価し、男であるファルロンを軽蔑するようなことを言うシーンがあったりする。
パヴァルは自分が育てた二人の養子エレイヌとラントを比較し、女であるエレイヌは出来が良い一方で男であるラントは「まるで成長がない」と評価するセリフも登場する。
また同じ武人である二人、女であるヴィディアと男であるパヴァルを読者が見比べたとき、ヴィディアのほうがまともに見えるようにも描いている。
シャネム夫妻というカップルの場合、妻であるフリアは頑固で保守的という短所があるとはいえ察しが良く機転も利く人物として描かれているけれど、夫であるベンスは優柔不断なうえに気も利かなければ整理整頓も読み書きもできないし、長所は誠実さしかないという風な描き方をされている。
そして男でありながらも女のように振る舞い、女であると世間から誤解を受けているリュンは、ベンスより賢い人間として描かれている。
――これらは意図的に敷かれた「あの世界でのジェンダーロール」です。現実世界と真逆なことをしているんですよ。
つーのも、あの世界では「男は穢れと愚かさの象徴、女は清浄さと賢さの象徴」とされているっつー設定があるからです。男は性欲に任せて汚い精液を卑しく垂れ流すけれど、女の経血は性欲に振り回されて起こるものではなく決まった一定の間隔で起こるものだから、というのがあの世界の根幹にある思想。これまた現実世界とは真逆にしているわけです。
男性性を厭う文化であるため、天地開闢の物語にも男は登場しない。原始の混沌から主催神である女神ウカルがひとりでに誕生して、主催神ウカルがひとりで生み出した大地から自然が生まれ、自然の中から五大元素を司る五柱の女神たちがひとりでに発生していくのみ。いうなればそれは単為生殖と表現することもできます。
これが意味すること。それは「男なんざいなくったって、女は子供を作れるんだぞ」と信じられていた背景があるってこと。あの世界が母系社会よりであったことはいうまでもない(少なくとも太古の昔はそうだった。サイラン領のように、時代と共に変化してそうでなくなった地域もある)。
また実際に、「ここまでいくと過激すぎるなぁ」という判断により没にした神話案の中には「主催神ウカルが目から流した涙(=生命を新たに生み出すものの象徴)から人間の女が生まれて、ウカルが指先から流した血(=生命を枯らしていくものの象徴)から人間の男が生まれた」っていうものがありました。第一章の扉頁の裏に、そういう内容を書くつもりでいたんだよね(それを没にした代わりに、昼と夜の概念を創ったという話をふたつに分割した)。
※補足:
……こんなことを書くと「英霊ラントのお話は?」とツッコミが来そうだけど、それに関してはきっぱりと言い切ることができます。あれは関係ないと。男である英霊ラントは神性を帯びてこそおれど神じゃないし、そもそも彼は新約版にしか登場しない。旧約、つまり土着の信仰の中には存在しなかったものなのです。
いうなれば英霊ラントという神格は、シアル王家の皇位に正当性を与えるためのギミックでしかない。シアル王家の庇護者で超自然的な力の持ち主であり、皇位正当性を保障するもの、それが英霊ラントの帯びた性質。つまり彼は日本の天皇家でいうところの「三種の神器がひとつ!」みたいな、そういうポジションにいるのです。
そんな「英霊ラント」の名前が繰り返し登場する最終巻。その話の中で、シアル王家と敵対するサラネム山のラムレイルグ族が「英霊ラント」というものに関心を持たない一方で、しかしラントの正体「気をふれさせ、人や獣から恐怖と理性を奪う鳴き声を上げるカラス」には注意を向けている理由も、そこに通じてくる。
英霊としてのラントは民衆にとって価値がない存在ですが、神性を抜きにしたときに残るラントの性質は民衆にとって「厄介で恐れるべきもの」。つまり英霊ラントとは、シアル王家の切り札そのものなのです。核兵器みたいなものなんですよ。
「男を女が支える」という構図が逆転した結果に生まれたもの
ラント叙任の儀、その前の一幕。 「私は暗殺者の娘、短刀の研ぎ方は知っていても王宮式最敬礼の作法なんて知らないわよ」 と言いながらも練習に付き合ってくれるエレイヌの図。 またエレイヌという名は「女神シレイヌ」に由来する女性名でもある。 |
シアルン神国において、権力的な意味で強いといえるのは女性。太古の「オブリルトレ朝」も原則として君主の座につくのは女性であり(女性がその代に居ないときだけ、長子の男性が就任する)、物語の時間軸にある王朝「シアル朝」もまた女帝をいただくシステムを採用している。
シアル王家に関していうと。王家の血脈に連なる男性に与えられるのは、女王/女帝の補佐という役。根回しやら口利きといった実務を担い走り回るのが男性で、意思決定や方針示唆という実権を握り椅子に座すのが女性と、その役割が分かれています。
そしてこのシステムは神話(新約版)の方にも表れていて、神話は「戦を指揮する女王」に従う「英霊ラント」と「男の戦士たち」という形態をとっている。これも現実に多い神話パターンの反転像っすね。現実にある神話などには、王権を握る男や英雄である男を女神が庇護する/死を予言するパターンが多いので。
今でも『守護神: Tutelary deity ないし Patron deity』という言葉を聞いたとき、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは『剣や槍といった武具を持った女性の神』の姿ではなかろうか。
実際、守護神(とか、国民のシンボルとしての神格)という座には女神が据えられることが多く、アテナを始め、ドイツのゲルマニアやバヴァリア、ブリテン島のブリタニアとカレドニア、フランスのマリアンヌ、ルーマニアのルーマニア(ややこしいな)、インドのドゥルガー、インドネシアのイブー・ペルティウィ、ニュージーランドのジーランディアなど、その多くが女性のかたちを取っている。
男性の場合もあるけれど、この場合はチンギス・カンのように国の伝説的英雄とか王であったとか、エリクトニオスや神武天皇のように神の血脈にあると規定された伝説上もしくは実在した王族であるとか、そういうパターンが殆どですね。
どうして守護神は女神になりがちなのか? それには諸説あるけど、個人的に一番ありそうだなって思ってる説は、国の実権を握る”男”たちが無意識のうちに“女からの庇護”を求めるからだっていうものっす。ただし、その“女”っていうのは『男にとって都合のいい女』のこと。
分かりやすく言うと『我が子をマザコンに作り替える母親』または『兄弟を全力で慕ってくれる姉妹』のような、とにかく男のことを全肯定して全力で支えてくれる存在ですね。
『マザコン母』的な守護女神は、我が子たる国土ないし国民を寵愛し、攻め入る他国から国を護り、国の進歩を支える反面、我が子たる国民が国土から離れていくことを拒み、愛国心を説いて領土内に押し留めようとする存在。
『全肯定姉妹』的な守護女神の場合は、名前の通りそのまんま。「あなたの言うことはいつでも正しい、だからがんばって!」と疑問を何も抱くことなく応援してくれる、思考力を持たない劣位の存在。けれどもおまじないや魔法といった超自然的な能力に長けていて、それを男たちのために積極的に使ってくれる。つまり女性を崇めているようで実は単に都合よく利用しているだけの「ヲナリ信仰」のようなもの。
そんな感じで守護女神ってのは、実は「国民の守護者」ではなく、「男性君主の守護者」であり「家父長制の庇護者」なのだ。そして、男性を全肯定する都合のいい“女性像”である守護女神を“女性のあるべき姿”として実在する女性たちに植え付け、女性たちが権威にたてつくのを未然に防ぐのも、守護神に女神が起用される目的のひとつでもある。
なので21世紀的なジェンダー見地から観察すると、特に女性は「あぁん?」と感じそうな特性を守護女神ってのは備えているのですよ。また現代的オタクカルチャーの中にある「妹という属性」を求める心理も、これと地続きのものであると捉えてもいい。
なので「神ノ禍」の中では、そこらの構図をドガンッと逆転した。ギリシャでいうところのアテナのような意味を持つ場所に「英霊ラント」という男の神格(ただし神という存在の中には厳密には加わらないので、信仰の対象にはならない)を置いてみたのだ。
ただし、その結果として「守護神の空白化=存在感の減衰」という現象が起きた。彼は民の祖たる存在でもなければ、女性的な属性(と、家父長制度の中では規定される傾向にある)である『無条件の包容』や『庇護する性質』を持ってすらいないため、彼が民から求められる機会がなかったわけです。
また『産み出す者』という圧倒的な強みを持つ女性が強い権力を持つ世界において、「男性がその地位を庇護してくれなければ成立しないような女性君主」というものが存在する余地は、よっぽどのことでも起こらない限りありえない。つまり、文化土壌的に「英霊ラント」というものが民衆から求められていないのです。
物語の中には守護神と同じ名を有する別人”ラント”が登場するため、この守護神について触れられますが。それがなかった場合、英霊ラントなんて存在は言及されることなく希薄化していく道を辿っていたことでしょう。
※例外的存在「守護女神シレイヌ」
ただし例外地域、かなり保守的で男尊女卑の傾向にあるサイラン自治領のみ『守護女神』を置いています。火の元素を象徴する女神シレイヌという存在、それが火山地帯でもあるサイラン自治領を贔屓し、守護する存在です。
この守護女神はサイラン自治領の主力産業『鋳物・鍛冶』とその産業に携わる者の庇護者。またサイラン自治領では『男は外で働き、女は家の中にいるもの』という感覚が染みついているので、まあ実質的に女神シレイヌは『鋳物師・鍛冶師である男たちの庇護者』という性質を帯びているといえるでしょう。
この「女神シレイヌ」もとい「サイラン自治領」の特異性は、作中の中で明確に記されることはないものの。サイラン自治領出身のフリアらへんのエピソードでそれとなくにおわされているので、チェックしてみてね。
システムから女性性が欠如したときに起こるのは理不尽とトラブルだけ、という仮説
左から順に、大人のシエングランゲラ、イゼルナ、シェリアラ。
シエングランゲラは王家を離脱し、シェリアラを護るため軍人となることを選ぶ。 イゼルナは伝統に囚われない新たな未来と価値観、及び透明性のある王政のかたちを模索。 シェリアラは「誇り高きシサカの末裔」を体現する者になることを望んでいた。 |
そういうわけでシアルン神国には女性が強い文化が根付いているわけなのですが。しかしこの物語は、その「女性が強い政権」から女帝の影響力が消え失せて国が歪んだ状態になったことから始まっています。
先ほども書いたとおり、シアル朝は「女性:女帝」とそれを補佐する「男性:宰相」を軸として回されるもの。そしてシアル朝は長いこと「女帝に臆せず意見できる宰相」と、「宰相の意見は勿論、その他の者たちの声に耳を傾けられる女帝」により、大きなトラブルを抱えることなく国を営んできた。少なくとも「賢皇シェミル」の時代までは、そうだった。
けれども賢皇シェミルが崩御し、シアル朝には「白痴皇シェリラ」が爆誕。純血主義により近親相姦を繰り返してきたシアル王家に、ついに「服を着た獣」と揶揄される女帝が出てしまった。そこから国が暗転していくというわけ。
思考力も判断力もない女帝が誕生したことにより、宰相が増長。先帝シェミル時代には大人しかった宰相シロンリドス(先鋭化した“純血主義”の持ち主であり、男性性の悪い面が前面に出ているような人物)が幅を利かせるようになり、「シアル王家の他は存在価値すらない」と信じている宰相シロンリドスによって凶悪的な圧政が敷かれ、貧富の差が開くわ治安が悪化するわのとんでもない状況に国が陥ることになります。
けれども、そんな国に救世主が現れる。それがシロンリドスの落とし子、スラム街あがりで非純血、それでいて清貧志向なセィダルヤードだった。
権謀術数を弄して成り上がったセィダルヤードが父シロンリドスを王政から蹴り出し、自身が宰相に就任すると大改革を実施。彼は父が敷いた圧政を解き、暴君シェリラを抑え込み、財政の健全化を図り、治安部隊を編纂し、犯罪組織の影響力を削ぎ、まともな状態に国を立て直した。
そうしてセィダルヤード体制下で少しずつ正常な状態になろうとしていた矢先のこと。名ばかりの女帝となっていた暴君シェリラが崩御し、後継者問題が勃発。そういうわけで「後継者どうする?!」となるところから、物語が始まっていたわけですが。
シロンリドスによる圧政と、作中で起こる後継者を巡るトラブルたち。このどちらにも共通しているのは「シアル王家における“女性性”の欠如」なんですよね。
シロンリドスという”男性性が持つ悪しき側面の象徴”が暴走した背景にあるのは、賢皇シェミルという“女性性というソフトパワー”によるストッパーの喪失。
シェミルの次代、白痴皇と揶揄されたシェリラは足し算引き算もできないしロクな語彙も持たないような、言うなれば「体が大きいだけの稚児」であり、男性性とか女性性とかもない、それ以前の存在。そんなシェリラに「穏当な判断を下せるストッパー」の役割を期待することなど土台無理な話。そうしてシロンリドスによる“男性性の暴力”は止められることなく突き進み、圧政という形で実を結んでしまったのです。――このテの悲劇は我々の歴史の中でも、特に封建制や専制君主制の時代に何度も繰り返されていますよね?
それから、皇位継承者を巡るトラブルたち。これも「シアル王家内の“女性性”の欠如」が原因で起こっているようなものです。
決まりに則ると正当な皇位継承者は先帝シェリラの娘、シェリアラになる。けれどもシェリアラは「財源を湯水のように使っていくシェリラの特性」と「シロンリドス由来の純血主義」を受け継いでいるような人間。そんな人間が女帝になれば、シェリラ×シロンリドスの暗黒時代が再来することは目に見えているようなもの。
ゆえに宰相セィダルヤードがゴネた。「シェリアラだけは女帝にしたくない!!」と。女帝選定の最終決定権を握る最高司祭も、その意見に同意。そんなこんなで後継者問題の目は継承順位2位に向けられる。
継承順位2位にいる(暫定。仕来りにならえば第二分家は継承権を持たないが、しかしスラムあがりの野心家セィダルヤードが仕来りを気にするわけがない)のは第二分家の当主、イゼルナ。イゼルナは知性も人格も十分すぎるほど持っていたものの、ここでまたセィダルヤードがゴネた。「イゼルナにこれ以上の負担を掛けるわけにはいかない!!」と。
実は色々とワケありなイゼルナさま。彼女には命を狙われていた過去もあったし、加えてセィダルヤードに思想・性格が似ている彼女は保守的な貴族たちからかなり嫌われている。それもあってセィダルヤードとしては、イゼルナを護るためにも彼女を表に出すような真似は控えたかった。というわけで、継承順位3位へと目が向けられるわけですが。
継承順位3位にあるのは、純血ではないセィダルヤードの娘(とされているが真相は不明)であるシエングランゲラ。宰相セィダルヤードはシエングランゲラを後継者の座に据えるつもりでいたのですが、ここで最高司祭が待ったを掛ける。「シエングランゲラは幼すぎる、まだ4歳だろう?!(※第1巻時点の年齢」と。
4歳の子供に、そんな重責を負わせるわけにもいかない。それに自分の意思もないだろう幼子を女帝に据えたとなれば、宰相の影響力はさらに増大し、宰相が好き勝手できる土壌が生まれてしまう。となれば今は善良なセィダルヤードも、前代シロンリドスのように変わり果てる可能性がある。そこを最高司祭は懸念し、首を縦に振らなかった。
そうして後継者問題は解決の糸口も見えないままズルズルと先延ばしにされ、第9章では遂に「先帝の崩御から20年以上も経過しているのに、女帝は決まらぬままだ。これでは王朝の存続が危ぶまれる……(※なお王朝の存続が危ぶまれる事態は宰相セィダルヤードの仕組んだことで、彼の真の目的は「シアル王朝をぶっ壊す!」だった」という事態に陥っている。
――そんな感じな「後継者問題」。これもセィダルヤードという男性の一存で有耶無耶にされているようなもの。実は作中、継承権を持つ3名の女性たちにセィダルヤードが意見を訊ねたシーンは一度もない。イゼルナだけは終盤に自分の意見を表明できたかな、という程度。
そんな父セィダルヤードの態度に腹を立てたシエングランゲラは、成人後に王家を離脱。彼女は父への謀反を企て、国を引っ掻き回したりもする。
あの世界で起こる大きなトラブルってのは「女性の意見を聞かない」ことが原因で起こっているようなもの。これは現実でも同じだけど、男性の一存だけですべてを決める社会は必ずどこかで軋轢が起こり、割を食う人が現れる。男女のパワーバランスが均等であり、どちらかの性がどちらかの性の所有物になるような現象が起こらないこと、これこそが理想的な社会のかたちであるはずです。
「男であるが、しかし男ではない」というセィダルヤードの特徴
左がパヴァル、右がセィダルヤード。ふたりの身長差は約17cmほど。 パヴァルはソロゥラム族男性の平均身長173cmと同等であり、チビというわけではない。 セィダルがその名前の通り、背が高すぎるだけ。 |
宰相セィダルヤード。前項では「男としてのセィダルヤード」について書いた。けれど作品を読まれた方なら分かるはず。セィダルヤード、彼は男でありながらも男じゃない。何故なら彼のあだ名は「玉無し卿」、つまり全去勢された男だからだ。
玉無し卿セィダルヤード、その来歴は複雑である。ざっと説明すると、以下の通り。
* * *
彼の母親は王宮に仕えていた侍女だった。けれどもシロンリドスに強姦され、望まれていない子供を身籠ってしまう。危機感を覚えた彼女は逃亡。王家の目から逃れるように彼女はアルヴィヌ領西部地域にあるスラム街に紛れ、そこでセィダルヤードを出産。そして彼女は息子をスラム街に捨て、どこか遠い地へと更に逃げた(それは子供を連れて逃げれば、子供もろとも殺されかねないという判断を下したため。実際、セィダルヤードの母は彼を捨てたあとすぐに暗殺されている)。
スラム街に置き去りにされたセィダルヤードは、しかし幸運にも老夫妻に拾われ、彼らに育てられる。両親の顔を知らないセィダルヤードは、自分が王家の血を引いていることなど露知らず。強気な正義漢という性質を武器に、スラム街のガキ大将となる。その時に付けられたあだ名が「セィダル(=防壁、という意味。転じて“のっぽ”に付けられるあだ名)」。このガキの名前とシアル王家っぽい容姿が、裏社会の間で話題となった。
そんな「セィダル」の噂を聞いたのが、当時の宰相シロンリドスに嫌気を起こしていた有力貴族ベルナファス家の当主、王宮の侍女長を務める人物でもあるレグサ。そんなわけでレグサは「闇社会の連中に攫われて殺されるか売り飛ばされる前に、自分がその子供を回収しなければ」と思い立ち、直々にスラム街へと赴く。そうして彼女は拉致も同然なかたちでスラム街の孤児「セィダル」を拾った。
レグサは拾った孤児に「セィダルヤード(=Seydhalyaed. 防壁を建て直す者 - Seydhala yaedomが由来)」と名付けると、我が子ゲルダグと同じようにセィダルヤードにも厳しい指導と教育を施し、彼を徹底的に躾け、そして教養を与えた。そうしてセィダルヤードが人前に出せるような賢い子供になったぐらいに、レグサは彼を王宮に連れて行く。そして時の女帝シェミルの前に彼を突き出して、レグサは一言「この子をシアル王家に加えなさい」と言ったとか。
シアル王家にとっての良き助言者で追随者であり、そして時の女帝シェミルの友人でもあったレグサの言葉を拒むことが出来ず、シェミルは渋々セィダルヤードの王家加入を承諾。しかし「純血でないセィダルヤード」を受け入れることができなかったシェミルは、王家加入の条件としてレグサに「セィダルヤードを”穢れ”に染まらぬ体にすること」、つまり「射精できぬよう全去勢しろ」と要求。
真の目的が「宰相シロンリドスを引きずり下ろすために、シアル王家に“正しい教育”を施した男児を入れる」ことであったレグサは、セィダルヤード当人の意向を聞くことなくこの条件を呑む。そうして事情も分からないまま、セィダルヤードは下のものを全部取られた。それが彼がまだ8歳だったときのお話……。
* * *
男性として生まれたものの、男性としての機能を早々に奪われているセィダルヤードは、その立ち居振る舞いもそこまで男性的ではないし、男性らしい男性としても扱われてはいない。玉無し卿という性別、と言ってもいいかもしれない。
彼は「自分自身のため」にその権力を行使することはないし、あくまでも「公僕」として務めを果たしているに過ぎない。今以上の力というものを希求することもない。これは男性的でありながらも、男性的ではない言動ですね。
また彼は野望や野心を抱いているものの、それは「理想としている平等な社会」を実現するためのもの。こちらも男性的でありながらも男性的ではなかったりする。
そういうわけで、彼はまさに救世主という肩書が相応しい『民衆にとって理想的な権力者』である。それこそが彼に与えられた属性。男でありながらも男ではなく、悪い男性性という側面を削がれた存在。
また、セィダルヤードは「闇社会の監視者パヴァルの女房役(この女房役って言葉も、家父長制がつくったジェンダーロールに基づく言葉だねw)」という側面も持っている。暴力的でロジカルで無感情で共感性皆無で残忍という“THE・悪い男”なパヴァルを宥めたり、良いように転がしたり、説得したり引き止めたりと、そういうことをやるのがセィダルヤードの役目だったりする。
そしてセィダルヤードは男らしくないことから、保守的な貴族たちからコケにされている存在でもある。玉無し卿という彼のあだ名も、民衆たちは「玉がないのに、誰よりも肝っ玉が据わってる」という意味で好意的に使っている一方で、貴族たちはそのまんまの意味、つまり侮蔑的なニュアンスで使っている。彼は貴族から馬鹿にされている存在なのだ。
それから、彼の髪はめちゃくちゃ長い。これは「忙しすぎて髪を切る暇すらない」ことに由来しているものだけれど、まあそれ以外の意味も込めていますよ、当然。
……そんな感じで、男性だけど男性じゃないセィダルヤードは保守的な世界からは大バッシングを受けている一方で、新しい風を吹き込む改革者/次世代の為政者としては評価されている傾向にある。パヴァルのような「使いこなせれば最強の味方となるけれど、扱いがかなり難しいうえに、相応しいと感じた”本物の”主にしか忠誠心を誓わぬ駒」から忠誠心を勝ち取っているようなお人なので、傑物であることは間違いない。
けれども、父親としての彼はサイアクだ。彼は父親を求めるシエングランゲラに応えることが出来ず、彼の娘を自称するシエングランゲラを敬遠することしかできなかった。使命や仕事に生きることは出来ても、父親にはなれず家庭に生きることが出来ない人間、それが彼なのだ。
父親という面では、パヴァルのほうがセィダルヤードよりもマシなのかもしれない。パヴァルは気まぐれで引き取った血の繋がりもない子供エレイヌを、真っ当な人間に育て上げたのだから(エレイヌがひとりでに真っ当な大人へと育っただけ、またはヴィディアという手本が身近にいたからなんとかなった、という可能性もあるが)。
女帝に代わる抑え役「侍女長レグサ」&「金庫番エディス」という女性たち
政務室のありふれた日常。 左から、呆れるレグサ、気まずいセィダル、意見するエディス。 最初こそレグサはエディスのことを 「元・露天商人の平民」+「パヴァルが連れてきた人間」ということで 冷ややかな目で見ていたが、のちに彼女の資質(及びパヴァルの人を見る目)を認めた。 そしてレグサとエディスは手を組み、二人でセィダルヤードをいいように転がしている。 |
セィダルヤードは「善き為政者」だ。封建制の維持を望む貴族にとっては「目の上のたんこぶ」みたいなものではあるけれど、民衆にとっては「望まれ続けていた新たな為政者」であることに間違いない。
そういうわけで比較的善良な性質を持つ彼ですが。とはいえ彼は悪いヤツとよくつるんでいる。それが悪漢パヴァルだ。こんな男とつるんでいれば、いつかセィダルヤードとて道を誤るかもしれないし、セィダルヤード自身もそうなることを危惧している(でも、まあ、彼はパヴァルにそそのかされて道を誤っちゃうんですけどね……)。
そのため彼は参謀役パヴァルとは別に、バランスというものを知っている助言者を持っている。それが公私を共にする相棒、王政の金庫番こと「財務大臣エディス」。また彼には、行動を監視し口うるさく突いてくるオカン的存在「侍女長レグサ」もいる。――この「エディス」と「レグサ」という存在は、セィダルヤードにとっても王政にとっても重要な存在となっている。
エディスもレグサも、有能であり知的でありながらも共感性と情緒を兼ね備えた女性。身勝手なエゴや一時の感情に任せて判断を誤ることがない人物である。つまり彼女たちは、これ以上ない「ストッパー役」というわけ。
それに「エディス」という女性に対して好意を抱いているセィダルヤードは、無意識的に、彼女の機嫌を損ねないよう立ち回ることを彼自身に強いている。
エディスがセィダルヤードの判断に腹を立てれば彼はすぐに方針転換を検討するし、エディスが疲労・心労でクタクタになれば彼はその原因を取り除こうと最善を尽くす。パヴァルがエディスに負荷をかけるような悪事を働けば、彼はパヴァルに「いい加減、自制することを覚えろ!!」と怒号を飛ばす。それがセィダルヤードだ。
まあ、つまりセィダルヤードは自らエディスのケツに敷かれに行っているのだ。言い換えればエディスはそれだけのことをする価値がある人物だということ。公的な意味でも、そして私的な意味でも、エディスは替えが利かない唯一無二のひとだからセィダルヤードは手放したくない。なので必死に引き留めようとしているわけである。
一方、レグサはというと。年を重ねて経験も積み恐れるものもなくなったレグサはまさしく「立ちはだかる最強のオカン」。またベルナファス家は最有力の家であり、影響力の強さはシアル王家の次点、または比肩するとも言われている存在。そんな家の当代レグサの圧倒的貫録を前に文句や小言を言える者は誰も居ないし、あらゆる者が彼女の反感を買うような真似は慎もうと考える。セィダルヤードは勿論のこと、傍若無人なパヴァルでさえもレグサの前では畏まるほどだ(パヴァルの場合は、単にレグサから小言を言われたくないだけであるけれど)。
それにレグサの忠告が的外れであることなどない。王家と繋がりも深く、好嫌を問わず多くの有力者たちと関わりを持ってきた有力貴族ベルナファス家の当代レグサ・エンゲルデン・ベルナファスが、頓珍漢なことを言うはずもないのだ。セィダルヤードにとってレグサの言葉は傾聴に値するものであり、彼女の提言は受け取るべきものなのだ。
またセィダルヤードが為した大改革のそもそもの発起人はレグサであり、レグサこそが彼に宰相という地位を授けたと言っても過言ではない。また、その経歴ゆえに”レグサ”という証人がいなければ宰相という地位に留まれないのも、セィダルヤードに課せられた枷のひとつでもある。
そういうわけで彼女たちの存在は、ただそこにいて、いつも通りに仕事をするというだけで効力を発揮する。そんな彼女たちが、薄まってしまったシアル王家の女性たちの影響力を代わりに補完し、王政を健全な状態にキープしているのだ。
レグサとエディスがいなくなった時。それがセィダルヤード体制の終焉となることでしょう。逆を言えば、セィダルヤードが仮にいなくなったとしても、レグサかエディスが残っていれば何とかなるのだ(最終巻でセィダルがイゼルナに与えたあの言葉には、そういう意味が含まれている)。
男性的な女性「クルスム」がストッパーを破壊し、パヴァルの暴力性が真の意味で解き放たれる
クルスムは単体ならめちゃくちゃ良いヤツ。 それに作中で一番モテてるイケメン(?)ポジション。 王宮仕えの従者も王都民も、ヌアザンも、クルスムのことが好き。 けれど絶対に「誰かのもの」にはならないのがクルスムでもある。 |
しかし「レグサ/エディス」というストッパーの効果を打ち消してしまう者が現れる。それがサラネム山からの来訪者、ラムレイルグ族の長の娘クルスム。
ガチゴチのマッチョイズム的社会の中で「男よりも男らしい女」と評価されていたクルスム。彼女がセィダルヤード体制にあった最後の良心を打ち砕き、物語を破滅的な結末へと導く役割を果たすのだ。
なぜなら彼女は「暴風/一新/加速」を司る女神アニェンの加護を受ける存在「シラン・サーガ・キウ」だから……――というのもあるけれども、一番の理由は「彼女が男の扱いに慣れているから」でしょうね。
クルスムは男社会に馴染みがあるからこそ、男連中の考えることがすぐ察せてしまうし、その意図を理解できてしまう(その意図に同意するかはさておき)。ゆえに物分かりのいいクルスムは、パヴァルの投げてきたとんでもない提案をすぐ理解し、二つ返事で乗ってしまうのだ。
同じシチュエーションに置かれたとき、エディスならパヴァルの頬を打っていただろう。レグサなら「やはりお前など死刑に処していれば良かった!」とパヴァルにブチギレて、すぐにでも馬四頭で八つ裂きにする準備を始めるはず。そんなとんでもない提案に、しかしクルスムは乗ってしまった。
そしてクルスムが加担したことを機にセィダルヤードまでも――
……と、この話はほぼネタバレになっちゃうから詳しくは書かない。ただ、クルスムという存在に与えられていたのはどういう役割だったのか、というのだけここでは示しておきまっせ。
女性性の悪しき側面としての「オブリルトレ王朝、最後の女王」
「たった一人で世界さえも滅ぼせる」 そんな評価も残っている畏れ多き魔道の女王だったとか。 |
ここまで、「神ノ禍」の世界の中で女性性がもたらす良い側面について書いてきた。なので一度、女性性によってあの世界にもたらされた「負の側面」について触れておこうかと思う。
ただ「女性性の負の側面」といっても、それは今はやりの悪役令嬢ものとかで定義されるような「悪女」のことではない。というか「神ノ禍」において、悪女らしい悪女ってのは主要人物の中には出てこない。なぜなら、典型的な悪女っていうのは「男社会に迎合し、その中で利己的に立ち回るあくどい女」であることが殆どだから。
女性が強い社会であるシアルン神国では誰もが「対等な立場、対等な関係」であることが望ましいと考えられている。ゆえに「ひとりだけ抜け駆けする」「関係者に相応しい分け前を与えず、利益を独占する」「先立ちが若輩の道を嫉妬から阻む」というような利己的な行動はかなり厳しく咎められます。実刑に処されることは稀とはいえ、そんなことしようもんなら社会的に殺されるでしょう。
それほどまでに利己的言動を厭う文化があるので、悪女的な性格になればむしろ失うものが多くなる。なので本当の意味で“賢い”人間は、利他……というよりかは互助の精神で行動するようになります。エレイヌなんかがその典型ですね。
とはいえ、悪女がゼロというわけではありません。自由な風が吹く王都ブルサヌ、それと所有権や財産という意識や価値観に馴染みがないサラネム山では殆ど発生しない人種ですが、しかしアルヴィヌ領という封建制に近い土地柄にはディダンの天敵「ディセイラ夫人」のような底意地悪い女性がたまに発生します。強権を握る男(=ソルレダイド卿)におもねったり、立場が弱い/弱くなった人間を徹底的に虐めて搾り上げたりと、ディセイラ夫人はそういうことをする人物ですね。
しかし「ディセイラ夫人」は作中において一瞬しか登場しない人物だし、言及される数も少ない。扱いも「北アルヴィヌ総督ソルレダイド卿の取り巻き」って感じだし。
ああ、そうそう。ソルレダイド卿のお膝元アルヴィヌ領北部は特にひどくて、魔境みたいなものです。あそこは利己主義の連中が跋扈する世界なので、移民のソロゥラム族(=アルヴィヌ領北部の連中に土地をごっそり奪われ、仕方なくアルヴィヌ領北部に移住してきた元・騎馬遊牧民族)を奴隷扱いしてみたり、商人同士の暗殺合戦があったり、秩序もモラルもあったもんじゃない。
――と、まあ、この話は重要ではないので一旦スルーするとして。
女性性の悪しき側面と聞いて、多くの人が思い浮かべるものは何だろうか。愚痴の多さ、ヒステリックさ、恨みの深さ、子宮系とかそういうスピが好きでマルチ商法にハマりがちな軽率さ、安全志向でリスクに否定的な態度、ドライな判断をスパッと下せるさりげない冷徹さ、裏切りや抜け駆けに対する異様なまでの厳しさ……――そんな感じ?
無論、全ての女性がそのような属性を持っているわけじゃない(男性だって、全ての男性が「卑しい」「暴力的」「共感性がなく身勝手」「マウンティングばっかり」「モラハラ・DV」なわけじゃないしね)。ただ、俗にいう『女嫌いの男』が思い浮かべそうな『イヤな女性像』ってこんな感じかな、と予想してみただけっす。
そして、この『イヤな女性像』。神ノ禍の世界でそれを代表するのは、後世において『銀色で紫色の悪魔』として言い伝えられる存在、最後のオブリルトレの女王「ユイン6世」(作中のユインは、33世です)。
なお「彼女が何をしたのか」「シアル王家によって、どのような悪意ある伝承が残されたのか」といった話は巻末付録に書いたので、そちらを見てください。ここではそれを取り扱いません。
代わりにここで取り扱うのは、彼女が象徴していたもの。
『オブリルトレの女王』といえば、最高司祭を凌駕する実力を持った呪術の使い手であったとされている存在。作中に登場するオブリルトレ家の末裔ユインは「最高司祭がつくった、さいきょうの結界!!」を面白半分でブチ破るシーンぐらいでしかこの呪術を使っていないものの。はるか昔の『オブリルトレの女王』は天変地異を引き起こすような呪術を扱えたとの伝承が残っている。敵に回すことは賢明とは言えない、畏れ多い存在だった。
つまり彼女が帯びていたのは『神秘性』というヴェール。当初は敬いの対象だったこのヴェールですが、しかしこれがのちにシアル王家を興す者が企てた謀反により闇堕ちしてしまい、悪の象徴となってしまうというわけ。
シアル王家の謀反が成功し、オブリルトレの女王が討たれたとき。オブリルトレの女王は暴虐非道なシアル王家女帝に抱いた怒りを今わの際に爆発させ、天変地異というものを引き起こす。彼女は大人しく殺される代わりに、今後シアル王家に支配されることとなるだろう大地に呪いを植え付けた。
女王は呪いによって湖を塩湖に変え、周辺地域を農耕に向かない土地に変えた。そうして無法地帯に変わり果てたのがアルヴィヌ領の西部・南部。湖から流れ出る川をいただく地域も不作の呪いを掛けられ、すっかり荒れ果ててしまった。
それから女王の怒りによって地底からマグマが噴出し、豊穣の山々に連なる地域の一部だったはずのサイラン領は火山地帯に変貌。自然豊かだったサイラン領は、流れ続ける溶岩と頻発する地震に悩まされる地域になってしまった(ただしこれが史実に基づく伝承であるのかは定かではない、というのが研究者メズンじぃじの分析である。メズンじぃじ曰く、アルヴィヌの塩湖に関する逸話は事実だが一方でサイランは大昔から火山地帯だった説が有力とのこと)。
以降、オブリルトレの女王へ向けられていた民衆の敬意は憎悪に変わり、オブリルトレの女王に付いていきシアル王家と敵対する道を選んだサラネム山以外の地域の衆はかつての女王のことを『悪魔』と呼ぶようになったわけです。特にサイラン領に残った禍根は(なぜか)凄まじく、それが「悪魔狩り」という祭りに繋がっていきます。
神秘性により発現する『呪い』という暴力。強烈な恨みの感情。そして裏切り者への、執拗とさえ思える手厳しい仕打ち。これがあの世界における『負の女性性』です。
そんな歴史もあって、シアルン神国の男性たちは女性を恐れます。女性を怒らせてはいけない、何が起こるか分からないからだ、と。そして、男性たちは女性たちを怒らせないよう努めます。女性がガチギレした時に何が起こり、何を奪い取られるのか、それがまったく予想できないのでね。
※補足「神秘性」はなぜ女性のものなのか
男性にできて女性にできないもの、というのはあまりない。陰茎の有無とそこに関連する性差ぐらいしか多分ない。つまり生殖機能を除いた”能力”に、男女差はないとされています。
大昔は「女性に思考力などない、学問なんて無理だ」といった、とにかく「女性は劣位な存在だから~」的言論がどういうわけか広く信じられていて、男尊女卑のような歪みが起こっていたわけですが(今もありますけれども)。しかし現代の脳科学者の大半は「脳の性差」というものを否定していて、「女性に学問はできない」といった言論はトンデモ以外の何でもないという暫定の結論が出されています。フェミニズムとかそういうのは関係なく、それが現代科学の出した暫定の答えなのだそうです。
しかし「女性にできて男性にできないもの」がある。それが「妊娠・出産」だ。歴史的に、女性が持つこの機能を男性たちは嫌い、同時に恐れてきた背景がある。
太古の昔、それこそレントゲンなどなく解剖学なども存在しなかった時代。男たちには「妊婦」の体のなかで何が起きているのかが分からなかった。どうやって胎の中で人間が創られ、外へと出て行くのかが分からなくて、怖かったのだ。
『人間を創り、産みだす』というその行為。それは神秘的に見え、また忌々しい魔術のようにも思われたのだろう。挙句、女性には月経というものがある。意味も無く(と大昔は捉えられたのかもしれない)股から血を流す姿は、理解の範疇を越えていたのかもしれない。
そんな背景があったのかなかったのかは分からないけど(ぉぃ)、女性を「神秘性」「超自然性」と結び付けている地域は多く存在します。
……ただ、日本の場合はこの限りではないのかも。日本の中にある「神秘性=女性」という図式は卜占を以て国を治めた女王「卑弥呼さまァーーーーーッ!!」由来な気がしなくもない。
あっ、ちなみに『オブリルトレの女王』のモチーフとなったのは卑弥呼さまです。柔と神秘を以て衆を制す太古の女王、そんなテーマがとても魅力的に思えたのでね。
シアルン神国の男たちは、必ずしも女性に弱いわけではない
アルダン隊員の中で、愛馬を保有するのはパヴァルとディダンのみ。 ディダンの愛馬ジェイロンは輓馬キャナッシュロドン種で、のんびり且つワガママな性格。 パヴァルの愛馬ソルドは駿馬アルヴェンラガド種で、相応しい主しか背中に乗せない暴れ馬。 他の隊員たちが乗る馬は、王宮が飼育している従順な性格のブリッシェロドン種の馬たちである。 |
シアルン神国の女性について書いてきましたが、ここで一度シアルン神国の男性に目を向けてみましょう。
シアルン神国の男性の特性というのは、地域ごとに大きく変わります。
サラネム山では『故郷である山と女たちを護る』役目を帯びた男性たちの声が時代とともに大きくなり、いつからか女性たちは『護られるだけの存在』として尊重されつつも軽視されるようになっている傾向にあります。守護者を気取ってカッコつけながらも、守護する対象の意見をまったく聞かない。ファルロンを始め、そういう性格の男性が多い土地柄(こんなダメ男が多いため、サラネム山の女性たちは結束が強く、その性質も強か。女性は女性で「お前らダメ男に守られるほどアタシらは弱くない!」という感じで、男女の勢力は拮抗している)。
また、頭の固い連中が多いので「自分たちにとっての“普通”以外のものは認めない」みたいな雰囲気がある。王都との交易に消極的な山の民が多いのも、マッチョイズムの延長線上にある態度だったりする。なので、ヌアザンのような「カッコつけない男」や、ダグゼンのように「メズンのような変人を排除することなく受け入れられる男」ってのはサラネムでは貴重な存在なのです。
アルヴィヌ領北部は利己的な文化が蔓延っているため、よりサイコパシーな特性を持つ冷徹で独り善がりな男たちの声が日増しに大きくなっており、誰にとっても居心地の悪い社会が醸成されています。また「女は男の所有物であり、子孫を生むためだけにいる存在だ」という価値観がある、唯一の地域でもある。
稀代の悪漢パヴァルが養女エレイヌに「北アルヴィヌの男との結婚だけは絶対に許さない、それだけは何が何でも阻止してやる」と宣言するぐらいには、アルヴィヌ領北部の男たちって「手のつけようがない人格破綻者」ばっかりなのです。まともな北アルヴィヌ人ってのは短命ですからね、舐められてすぐ殺されちゃうんで。なのでしぶとく生き残ってる連中の人格はお察しなわけです。
そしてアルヴィヌ領西部、および南部。この地域はそもそも治安が悪く、文化らしい文化も無い。アルヴィヌ領西部の住人は男女ともに「我慢強さ」と「互助精神」という性質を持っている傾向にあるものの、他の地域のような「男/女は、こうあるべきだ!」という具体的なものは無い。そして南部に行くと、もはや共通する特徴や認識というものはなくなり、ただ「辛うじて人間らしさを保っている人間」か「人間をやめた人間」という二極に分かれ出す。そこには男も女もない。
続いて、サイラン自治領の男たち。これはフリアの父シャンの言動を見れば分かる。サイラン自治領には「男は外で働く。女は家のことをすればいい。そして女は男の三歩後ろを慎ましく歩け」というような価値観が根付いているため、そんな居心地のいい場所ではない。「食べ物は美味しいし、住み心地は最高に良いんだけど、ここの住人はあまり好きになれないかも……」という感想を移住者に抱かせるのがサイラン自治領だったりする。
それから、ソロゥラム族の男たち。作中にはパヴァルぐらいしか登場しないものの、このパヴァルは「典型的なソロゥラム族」的属性を持っている人物でもある。ソロゥラム族の特性、それは「男女平等。性別問わず、容赦しない」というもの。真正な実力主義社会、というわけ。
他の地域と深いつながりを持たず、独自の文化を築いてきたソロゥラム族は一風変わった男女観を持っている。それが「外のことは男が担い、家のことは女が担う。外では女が男に従い、家では男が女に従う」という、ちょっと変わった男女平等システム。とはいえこれは厳格に運用されていたわけではない。適正や当人の意向に応じて、外に出るか家に入るかを当人が選択できていた。つまり、そこまで性別は意識されていなかったのだ。実際、ソロゥラム族は女の武人も多く輩出してるし、武器ではなく包丁を選んでそして機織りを好んだ男もそれなりに存在していた。
そんなこんなで形態はさておき、ソロゥラム族は曲がりなりにも「男女平等」を掲げているため、男だろうが女だろうが区別せず、容赦しない。「女の武人だからお情けを……」だなんてことは一切しないし、「お前は外に出た女なんだろう? なら武器を持て、槍を振れ。そして全力で来い、俺も全力でお前を迎え撃つ!」と言うのがソロゥラム族であり、パヴァルであったりする。
最後に、王都ブルサヌの男性たち。この地域の男は基本的に「自由奔放に振舞いながらも、強い力を持つ人間の顔色を伺い、一線は踏み越えないようにしている」という感じである。顔色をうかがう対象は、家計を管理する妻であったり、商人たちの黒い秘密を握っているエレイヌだったり、王都の番人パヴァルだったり。そんなところか。ラントのように様々な人々の顔色を伺いながらも気さくに振舞うような態度、それが王都の男の特徴だと纏められるのかもしれない。
ただ、王都ブルサヌは「あらゆる地域のものが混ざり合う坩堝」という土地柄、「これだ!!」というような共通項がなかったりする。各地から集ういろんな価値観と王都の風土がぶつかって、進歩したり退転したり。そういう流動的な場所でしょう。
ダルラとディダン、性質の異なるふたつの「守護者」と共通点
ユニともリスタとも親しかったユインからすれば ダルラとディダンは邪魔くさくて仕方ない存在だったはず。 そしてダルラは多くの人々から影で「ユライン家のバカ息子」と呼ばれている。 |
前の項で書いたのは、庶民に関する話。庶民の特徴は地域ごとに異なり、バラエティー豊かな傾向がある一方で。パッキリと二極に分かれるのが「貴族」たちだ。
作中に登場する貴族。これは「ベルナファス派」と「ソルレダイド派」に大きく分かれている。「ベルナファス派」は侍女長レグサを筆頭とし、セィダルヤード体制に追随する姿勢を見せている者たち。そして「ソルレダイド派」は北アルヴィヌ総督ソルレダイド卿を筆頭として、反セィダルヤード体制を掲げている者たち。
――えっと。簡単に言うと「ベルナファス派」は善良でまともな倫理観を持った貴族たちで、「ソルレダイド派」は愚民どもから搾り取れ~♪な思考を持ったサイコパシーな貴族たち、ってところでしょうか。
ソルレダイド派は『悪役としての記号』という側面が強いので、深く書かないとして。ここでは主要人物の中に居る「ベルナファス派の男性貴族」について書いていく(相関図についてはこちらを見てね:尚、リダイレクトやらキャッシュ云々でGoogleDriveが機嫌を損ねると画像が見れなくなる場合がある。その場合はGDに上げているファイル、こちらを見てくだせぇ。それから、各種人物のフルネームはこちらのページを見てくれ)。
レグサが含まれる紫色の枠で囲まれたのが「ベルナファス派」。ソルレダイド卿が含まれる赤い枠で囲まれたのが「ソルレダイド派」という感じです。
/*どうでもいい豆知識*/
ちなみに家名の終わりに「-ス」「-ン」「-ク」の音が付く家は、古語由来の由緒正しい名を持つ真正の旧家です。それ以外の音で終わる場合は、なんらかの手法で成り上がった新興貴族と判断されます。
ソルレダイド派の「アグレイエンス・アニートン・ケルン」「ヤンダル・ガルト・ヴァルダス」「ルディガンド・パンデモッダ・チャニラス」、ベルナファス派の「レグサ・エンゲルデン・ベルナファス」「ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインス(=ディダンのこと)」「ダルトレイニアンス・ヴィネディガ・ユライン(=ダルラのこと)/ユニ・ヴィネディガ・ユライン」は、由緒正しい家柄です。
反対に「サイヴァル・リャクー・ソルレダイド(-ド、で終わる名前はソロゥラム族にルーツを持つ者か、ソロゥラム族と親交を深めて彼らから“仲間”として認められた祖先が居た家に見られる傾向にある)」や「マルディス・エルレント・ディセイラ(-ラ、で終わる名前はアルヴィヌ領の平民に多く見られる凡庸な姓)」は、上述のルールに当てはまらないので新興貴族の証。暗に「野蛮なやり方でのしあがりましたよー」っていうのを示している。名前だけでこういうのが分かっちゃう世界です。こういう設定、作中に書き切れないのが悔しい。
(※尚、「ケリス・シャドロフ」と「エディス・ベジェン」は平民の出身なのでこのルールには全く関係ないです。それから如何にも貴族っぽい名前を持つ「リノス・ベント・フェルデ」は、実は平民。なぜなら”ベント”は何らかの功績が認められた際に王家から贈られる称号みたいなもん。一代貴族のような存在であり、特に領地・領民を持っていない場合は平民と同列の扱いとなる)
(※貴族の名前の真ん中につくやつ、あれは「称号姓: ルーフガン」と呼ばれている。旧家の称号姓は、王族が「お前に相応しい名を与えてやろうぞ」的なノリで与えているものが殆ど。「ガルト: 偉大で高貴な」「エンゲルデン: 恐れ知らずで冷静で鋭い」「ダナディラン: 砦のような」みたいな感じ。なお新興貴族の称号姓は、威厳付けのために当人たちが好き勝手に名乗っているだけのものである。「リャクー」とかは「花: リャクン」の北アルヴィヌ訛り系だし。「エルレント」は「貴族: エロズ, イェロズ」等を元につくった意味のない造語でしかない。しかし「真正の旧家」でないにしてもディセイラ家の歴史は相当に長く、旧家のひとつとして捉えられている)
/*豆知識END*/
ベルナファス派に身を置いている男性貴族。それは「ダルラ/ダルトレイニアンス・ヴィネディガ・ユライン」と「ディダン/ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインス」、それとレグサの息子「ゲルダグ・エンゲルデン・ベルナファス」の三人だけ。尚、ゲルダグは作中において名前のみが言及されるだけの存在なので、ここではカウントしないとして(ゲルダグは過去に公開していた短編に、ラントと共にちょろっと登場していた。ラントに実力と腕っぷしを足したような、そんな気前のいいオッサンである)。
ダルラとディダン。この二人には直接的な接点はないものの、似通った性質を持っていたりもする。それが「特定の人物の庇護者である」という点。
ダルラは、彼の妻である「ユニ」の庇護者だ。ダルラはユニにぞっこんで、彼女を何よりも優先して行動する。そして彼は、彼女のことが諸事情からちょっと心配。それもあって彼はユニに過保護ともいえるような態度で臨んでいる。彼は、ユニの一人での外出を制限したり、自分が同席しない場で他者と話をしないよう暗に強要したり等をしている。
また他の男がユニにちょっかいを出そうもんなら、ダルラは烈火の如く怒る。ラントなんかはダルラに目の敵にされていたりする(まあ、ラントもラントでやらかしてるので、あいつはギルティ)。
雰囲気が「爽やかイケメン」なダルラさん。その雰囲気につい流されそうになるものの、しかし彼がやってることは案外モラハラっぽいし、なかなか狂気じみてたりするんだよね。過度な束縛とか、行動制限とか。でもダルラのそのヤベェ行動の根底には「君のことが大好きだから、だからこそ……ッ!!」という心理があるためか、ユニ的には悪い気とかはしていないようだ(尚、作者はダルラのモラハラ的言動を書きながら「こんな男、嫌だなぁ」と感じていた)。
ユニはむしろ、彼のことを「私を守ってくれる王子様」みたいに感じているフシがあるし。ダルラのやってることはかなりヤベェんだけど、でもこの夫妻的にはノープロブレム。真実の愛があるから。真実の愛があれば、些細なことには目をつぶれるんだろう――たぶん。(※ダルラの正体を暴露すると。彼は、恋愛小説好きなユニのために「ユン」が用意した王子様キャラなんよね。彼はユニにとっての理想の王子様まんまなわけっすよ)
一方、ディダンのほうはというと。彼は「リスタ」の庇護者だ。が、ディダンは束縛とかはしない。自由に振舞うリスタの後ろについて回って、リスタが下手こいたときにサッと助け船を出す。ディダンはそんな感じ。
とにかくディダンは、諸事情からドジっぽい上に鈍くさくなったリスタのことが心配で心配でたまらないのだ。リスタがヘマをしてパヴァルを怒らせないか、リスタが失言をしてケリスの不評を買わないか、リスタがドジ踏んで大けがしないか等々。ディダンはリスタに不安しか抱いていない。だから、リスタについて回る。束縛はしないけど、コバンザメになる。そういうタイプ。
ある意味においてディダンの行動は、リスタの自主性を否定し、リスタの成長を阻害しているともいえる。失敗して反省する機会をリスタから奪っているのだ。それにコバンザメになるという行動は、遠くに行ってほしくない=独り立ちしてほしくないという心理の裏返しでもある。
とはいえ、まあ……――リスタは色々と、盛大にやらかしているので。ディダンだけでなく、ヴィディアやパヴァルからも信用がゼロだし。ディダンが「これ以上、リスタの無い信用度を減らさないためにも!!」と躍起になるのも仕方がないのかもしれない。
そんなこんなで、庇護対象には異様な執着心を発揮しているダルラとディダンですが。二人とも外での顔は「冷静沈着で穏当」そのもの。ダルラは常識的で模範的な言動を心がけていて、それなりに信頼も得ているし。ディダンは猫を被って悪辣な本性を隠し、対外的には「いい人」として知られている。それに両者ともに、領民たちから「善良な領主さま」として慕われている。まあ、どちらもまともな人ではあるんですよね。ただ、庇護対象が目の前にいると……ちょっと理性が吹き飛んでしまう。
立場の弱いものをなんとしてでも庇護したいという心。英雄志向、とでもいうのだろうか。それは男性性の善良な側面でもあり、また悪い側面でもあるのかなって思ってます。
男女という括りから取りこぼされ、社会にも馴染めなかった「ユイン」と「ルドウィル」の在り方
ユインが思春期のトラウマでグチャグチャになった存在なら、 ルドウィルは三歳児レベルの性区分のまま成長した存在といったところか。 |
男性、女性。男性性、女性性。男が、女が、どうのこうの。……こういうの書いてくると疲れてくるね。自由がないな。
つーのも、こういったテーマはどうしても「既存の概念」「ステレオタイプ/ジェンダーロール」というものに囚われてしまう。こういう前提があって、うんたら、かんたら、という話しかできない。
なので最後に触れるのは、男にも女にもなり切れず、中途半端な立ち位置に居続けたキャラクター。「ユイン(本編に登場するほう)」と、影が薄めな主人公「ルドウィル」の二人だ。
ユインは「男になりたいわけじゃないけど、女でいるのは嫌だから、とりあえず男に擬態して生きてる。でもやっぱ女になりたい瞬間もある。けど、女でいることを強制されるのはイヤ」という面倒くさいことこの上ない人物。性格も面倒くさいことこの上ないやつで、ちょこちょこメンヘラムーブをかましている。が、うざい以上に可哀そうなやつでもある。
もともとユインは、単に活発な女の子だっただけ。彼女が男装していたのは「そっちのほうが動きやすいから」というだけで、言動まで徹底していたわけではなかった。
子供の頃のユインは、ヌアザンやファルロンといった「男の子」たちと一緒に山を駆けまわっていた一方で、普通の「女の子」のようにかっこいい男の子に片思いをしたり等もしている。ラズミラと花冠を作って遊んでいた時代もあったし、男勝りなクルスムと二人で熊を仕留めたこともあった。
また彼女の育ての親である叔父メズンも、ユインのことは「ユイン」および「弟子」としてのみ扱っていて、男の子だの女の子だのという概念は関係の中に持ち込んでいなかった。そんな環境もあって、当初のユインは「ボーイッシュな女の子」というだけだった。
しかし「女性であること」が原因でひどく傷付けられた経験から、ユインは「女性であること」を厭うようになる。そして故郷を去った彼女は新天地・王都ブルサヌにて、叔父メズンの知人であるパヴァルの庇護の下、男のふりをして生活するようになる。
けれども男になりたいというわけではなかったユインは、「世間が求める男としてのユイン」と「本音」の乖離に苦しむようになり、ちぐはぐで奔放な言動をするように。アホのリスタはそんな小悪魔ユインに目を付けられて、特にこっぴどく振り回された(付随して、リスタを監督していたディダンも)。
そのうち王都民たちは「支離滅裂でメチャクチャな奇人」としてユインを面白がるようになり、ありのままの彼女を受け入れるようになったものの。そうして等身大のユインが受け入れられ始めたタイミングで、しかし最悪な事件が起きる。事件後、ユインは周囲から「大人しく家の中にこもる女性であり続けること」を強く求められるようになり、彼女は服装を含めて「女性性」という窮屈な檻に強制的に閉じ込められることになった。
その結果としてぐちゃぐちゃだった内面がより複雑化し、瓦解。シエングランゲラの陰謀に巻き込まれたことがトドメとなり、ユインは最終的に完膚なきまで破壊されてしまう。……時系列でまとめると、こういう流れだったね(ここまでが第2巻の内容となる)。
そんな感じで、まさに「アンビバレント」な存在であるユインは、その性格傾向から「性別を気にしないで接してくれるひと」に擦り寄るところがある。つまるところ「メンヘラなユイン」は、男か女かの二項しかない社会を受け入れることができない存在だった。どちらの世界にも、居心地の良さというものを見出せない性格だったのだから。
さすがにユインほど過激な例は少ないとはいえ。しかし同種の「アンビバレントさ」を抱えているひとは現代にもボチボチいるのではなかろうか。
んで。似たような性質のようで実はユインとは真反対なルドウィルは「男や女といった認識がなく、目の前にいる”そのひと個人”しか見ない」タイプで、「オレは、オレ。それ以上でも以下でもない」という自認を持つ小ざっぱりした性格の持ち主。その性質はかなり単純なんだけど、単純だからこそ周囲が理解できず困り果ててしまうところがある。
なのでルドウィルは「普通の世界という場所から拒まれ、排除された」という経験を積んでいる、それも幼少の頃に。仲間に加わることさえ拒まれ、追いやられているのだ。
しかしその割には病んでいないのがルドウィルくんでもある。なぜなら、ありのままのルドウィルを受け入れてくれる環境があったからだ。
遊び相手になってくれるリシュ、話相手になってくれたり王都内の各地に連れて行ってくれたスザン、可愛いがってくれるクルスムやリスタ、入学を拒んだ学舎の代わりとして勉学を授けてくれたユインやメズン、武術を叩き込んだパヴァル。――彼らのいる世界は“普通”ではないものの、そこにルドウィルは居場所と安心感を見出した。なので”普通”の世界から拒まれたとしても、彼は気にしなかったのだ。
結果、ルドウィルは普通の価値観というヤツに染まらないまま成長した。そういうものに馴染みを持つこともなかったため(また、ルドウィルに「ユインやパヴァルのような異端にならないで、ほどほどで落ち着いて!」と再三求めていた母フリアとは仲が良くなかったこともあり)、ユイン譲りの賢さはあれど常識はない、というか常識や慣習を平気な顔で無視する人間に育っている。
堅苦しいことが嫌いなクルスムでさえ「王宮では相応しい装いをする必要がある」という最高司祭の助言を受け入れ、それに従っているというのに。ルドウィルはバリッバリの普段着、「藍羽織」というめちゃくちゃカジュアルな装いで王宮に立ち入ってますからね(シエングランゲラにそれを咎められたときも、シレッと正当化するような反論を彼はしている)。ルドウィルはTPOとかをガン無視するタイプの子なのです。
そんなこんなでクルスムよりも「我が道を行く!」な態度を貫いているルドウィルくん。外野の声を徹底的にシャットアウトしている彼は、性別がどうのとか居場所がどうのとか、そんな細かいことでクヨクヨ悩まないし、そもそも気にしない。男らしさとかを求められたところで「うーっす、今後の参考にしまーっす」と右から左へと受け流すだけ。
さらにルドウィルは普通の世界と接点がないからこそ、普通の男女感も分からない。男女の体の構造が違うことは分かっても、考え方や価値観が違うということについては「???」と、ちゃんと理解できてはいない。男らしさ、女らしさというものが何なのかも、たぶん分かっていないはず。
そんな感じで「鈍感ゆえのメンタル強者」っぽいルドウィルだけれども、とはいえ「拒まれた」経験は少なからずルドウィルのその後に影を落としてもいる。ユインのように病んでズタボロになる事態は避けられたルドウィルであるものの、その後に人間不信に陥ってしまい、いやに褪めたドライな大人になっちまうのだ。
まあ、大人になってドライになって「えー、だったらもう、オレは一生童貞のままでいいっすよ……」なルドウィルの話は続編「空中要塞アルストグラン」シリーズにて書いているので、そちらを……。
最後に
現代、多様性という概念が広まりを見せている。昔なら「マジョリティ」から爪弾きにされていただろう人々が、少しずつだけれど生きやすくなっていると思う。ただ、それでもまだ足りていないと個人的には感じている。
LやGやB、そしてTへの理解は進みつつある。けれど「男女という二極のいずれかにハマれなかった人々: クィア、エイジェンダー、ノンバイナリー、Xジェンダー等と呼ばれている集団」への理解は進んでいないように思う。「FtMやMtFには同情するけど、性別がないって何だよ? 世の中には男か女かしか存在しないのに、なに言ってんだ?」「生物学的には女、っていつまで中二病引き摺ってるんだよ。恥ずかしくないのか?」というような心無い言葉は、しかしよく見かけるものだ。
自分は好きで「象徴」という分野を扱う。ただその「象徴」に触れていて思うけれど、大抵のものは運用されてきたその歴史の中で「男性性」か「女性性」という属性のどちらかを与えられており、「無性的」や「中性的」なものって少ないっつーか、ほぼ無いんだよね。それぐらい「男女の二項に当てはまらないもの」というのは新しい概念……というより、長いこと存在しないと無視され続けてきたものなのだろう。
でも、視野を広く持ってほしい。既存の概念たちの正当性を一度、疑ってみて欲しいのだ。
性別は、人間が思っている以上に流動的なものだ。ジェンダーは勿論、セックスさえも流動的である。
魚や貝類の中には、この前までオスだった個体がいつの間にかメスに変わっている、だなんてこともまま起こる。これは特に珍しい現象ではない。個人的に好きな「ネコゼフネガイ(スリッパー・リンペット)」は、「積み重なってる貝のうち、一番下に居るやつがメスになって上にいるのはオス(か、中性)になる」なんていう珍妙な生態を持っていたりする。
また「母乳はメスからしか出ないもの」というわけではなく、子育てをするオスから出たなんていうケースも存在している。兵庫では数年前、雄ヤギが母乳を出した(それも二代にわたって)と話題になっていたし。
人間だって、甲状腺や肝機能、精巣などに障害が起こると「男性の女性化」が起こったりする。インターセックス/性分化疾患も、性別というものが「神の手により定められた絶対的で確定的なもの」でなく、「不確定な遺伝子という要素」が影響するものであるからこそ起こるものだ(※性分化疾患群は「疾患」であり、GIDやジェンダーフルイドといったジェンダー論争とは分けて考えるべきものである。これらはまったくの別物だ。念のため書いておく)。
また、今は性転換手術によって疑似的とはいえ性別を入れ替えることができてしまう。工事はせずホルモン療法だけの場合でも人間の体は大きく変わったりもする。骨格や筋肉、顔つきは人が思っている以上にホルモンの影響を受けているからだ(ホルモンの変化によりガンのリスクが上がるという悪影響もある)。
そんな感じでさ。「人間には男と女しかいない!」みたいに語られがちな性別論だけど、でも実態はそうでもないんすよ。性別には男と女という二極があるけれど、けれど性別はグラデーションやスペクトラムのようになっているとでもいいますが。
「男らしい男」がいれば「女よりの男」もいて、その逆も然り。ついでに「男にも女にもよらない、中間点」というものもいる。それが心の性ジェンダーにもあり、体の性セックスにもあるというだけ。
ゆえに「男がー」「女がー」っていう議論って、実に不毛なものだと思いませんか? 自分はこの記事を長々と書いてみて「あー、不毛だ」と感じましたよ。巻末付録に載せきれなかった設定を明かす機会としては、ちょうど良いネタだったけどね。