新しい曲を公開してました。12/8拍子しか作れない呪いが相変わらず続いている。
そしてタイトルの「ラナッハ:Lannach」ですが。これはアイルランド語で、複数の意味が詰め込まれてる単語です。
暇つぶしに英愛辞書を流し読みしていたときに見つけた言葉。名詞で使うか、形容詞として使うかで意味がまったく変わるし、その煩わしさが原因なのか近年はまったく使われていないというヘンテコなやつです。意味は以下の通り。
- 名詞(男性名詞)
- 魚の鰓、鰓蓋、鰓孔:
ただしあまり使われていない表現;同様の意味である「geolbhach」の使用が一般的。- 容器の蓋:
ただしあまり使われていない表現;同様の意味である「clár」の使用が一般的。- 鯔:
ただしあまり使われていない表現;同様の意味である「Milléad」の使用が一般的。- 形容詞
- 薄いものが重なっていることを指す。
- 層流のような状態、ないし層流。
- 薄いものが幾重にも重なっている状態。
- 刃物が付属している状態のことを指す。
- 武器が、刃のような薄く鋭い形状の金属板を保有している。
- 刃物といった武器で人が武装している状態。
- 器用であることを指す。
- 特に「剣」といった刃物・武器の扱いに長けていること。
そんで歌詞を見て頂ければ分かるだろうけども、今回は本当に「なんも考えずに適当に作った」歌詞です。ラナッハという言葉の意味をまず適当にちりばめて、それを補完するように文章を構築したものを「コーラス」とし、この意味不明なコーラスをそれっぽくするために「ヴァース」をザザザッと適当に書いた。そんなとこである。
歌詞:
意固地だね、
變化に乘らないなんて。
いつまでも、
拒むことは出來ないだらうに。
そろそろ、
腹を括るべきぢやないかな。
さうすれば、
屹度樂に爲れるはずさ。
硬い蓋に鰓孔を開けて;
劍の切つ先で、
小さくぷすりと疵を附けなさい。
時勢に抗はず、受け流せばいい。
ぽきりと折れぬやうに;
魚のやうに――
……それで。ここまでの記事の中に、違和感を覚えたりはしないだろうか。
ヘンテコな歌詞もそうだけど、この記事の中で「セミコロン・;」「コロン・:」を日本語の中で使ってるよね。
今回の本題は「セミコロン;」「コロン:」のほうである。
横文字かぶれ? いいえ、英文句読点かぶれです!!
日本語は好きよ。日本語で文章を書くのは本当に大好きで超サイコー。たまに英語やらアイリッシュやらに手を出してみたりするけど、日本語をそのまま置き換えることができないジレンマ、ある種の「表現の制約」みたいなものにイライラすることがかなりある。
オノマトペを自由に作る。これは日本語だからこそできること。
新たな漢字の組み合わせを発明し、全く新しい熟語を作りながらも、しかし漢字の雰囲気で意味をフワッと伝えることができる。これは日本語というか漢字が表意文字であるからこそ成し得る技。
単数とか複数とか指定しないで文章を書いても違和感が発生しないこと。これは日本語の長所であり、英文に翻訳しようと思ったときにぶち当たる壁の代表格です(俳句「古池や蛙飛びこむ水の音」の「蛙」を英訳するとき、単数にするべきか複数にすべきかは、かなり有名な論争である)。
名詞に「女性」「男性」とかいうクソみたいな概念が存在しないし、性別にこだわらぬ文章にもできるし、逆に女性らしさ・男性らしさに溢れたものにも変えられること。これは日本語の長所、この上ない美点で、まさに多様性の象徴であると個人的に思っている。ゆえにフランス語はクソ。アイルランド語もこの点は非常にムカつくポイントである。
フランス語はマジで嫌い。数字もまともに数えられねぇくせに「我、雅かなり」みたいな顔してやがんのムカつくから、あの言語だけは絶対に学びたくない。
— 暘 弥涼🚚💨💨💨HINO de ISUZU (@Isuzu_Hinode) July 13, 2023
日本という国に「男性」を割り当てるあたりセンスねぇわって心底感じてる; ジャポンは天照大御神のおわす日出ずる国ぞ、舐めとんのか?????
あと代名詞が自由なのも日本語の良い所。英語でいうところの「I」に相当する日本語は今日も無限に増殖を続けており、また「She/her:彼女」「He/Him:彼」という表現にこだわらずとも「あのひと」「あいつ」といったかたちで誤魔化せるのも良点。
その一方で、文章におけるジェンダーの使い分けができるのも優れている。物腰穏やかで上品な文章にもできるし、荒々しく粗雑な文章にもできるし、程度の低い乱文や汚い言葉も書ける。表現のバリエーションは豊かだ。
この通り、日本語の表現には不自由しておらず、むしら「さいこーーー!日本語の言語圏から出たくねぇーーーーーーー!」と感じているくらいである。
が、たまに不満を覚えたりもするのだ。それが「句読点」について。日本語の句読点は「、」と「。」しかない。これが、めえええええええええええええええええええええええ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っちゃくちゃ不満なんすわ。
なので自分は英文から拝借した句読点・約物を文章中によく織り交ぜている。
小説でもよく乱用しているのは「ダッシュ・―」である。例えば以下のように使う。
-
その①「AパートとBパートを接続するものとして」:
彼女の名を呼ぶ彼の声は不機嫌そのもの――彼は釈明か謝罪を要求していたわけだ。 -
その➁「括弧の代替として」:
すると、彼よりも一足先にここに来ていた“姐さん”――つまり彼の担当管理官のことである――は、彼の顔を見ると腕を組み、それから簡単に状況を説明した。 -
その③「語尾がフェードアウトしていくような、含みを持たせるものとして」:
昔のことを褒められたところで、別に今の私は何も感じなッ―― -
その④「強調の手段として」:
分かった、今後は指示に従う。――そんな言葉を彼が言いかけた時だ
小説の中でダッシュ記号を濫用しているのにはワケがある。日本語縦書きの中に「セミコロン・;」「コロン・:」を混ぜると不格好になるからだ。なのでセミコロンやコロンを使うべきところに、ダッシュで代用しているというのが正しい。
実際、上リストの「用例その①」はセミコロン・コロンでその役目を果たせる。だが、縦書きの中ではダッシュを使うのだ。
日本語横書きなら別にセミコロン・コロンを使っても構わないんだけど(そこらの意見は人によりけりだとは思うけども)、縦書きにセミコロン・コロンだとね、どうしても見た目が崩れるんだよ。正直、視認性もよくない。だからセミコロン・コロンを避ける。ダッシュを乱用する。
……――で、そんなことが続いてきますと、たまに湧いてくるんですよ。「日本語、横書き、セミコロン、コロン! 使いたい!!!」という、他の人にはきっと理解できないだろう謎の衝動が。
そういうときに「ラナッハ」のような日本語曲を作ったりする。
動画づくりに一切こだわらない自分の、しかしフォントにだけはこだわりたいという矛盾した感情
自分はハッキリ言って、動画づくりに全くこだわらないタチである。ンカ月かけて動画を作りました、なんてのは「薊と茨」が最初で最後である。他は基本、動画に使用する絵を描く時間を抜けば20~30分ぐらいで作り終えている。ラナッハの動画に至っては10分で終わった。
そう、動画づくりとは「ちょっぱや仕事」なのだ。
動画のつくりも極めて雑だし、今後も特にクオリティを上げていく努力をするつもりはないんだけど。でも、動画で使うフォントだけにはこだわりがある。
日本語の曲なら、可能な限り「Oradano明朝」を使いたい。これが唯一の個人的こだわりポイントである。
Oradano明朝の活版っぽいしタイプライターっぽい雰囲気が本当に好き。それに、Twitterにふと「Oradano明朝にほしい漢字がない~無念~」と嘆きをこぼしたら、それを製作者さまに拾っていただけて、まさかまさかの戌戌アップデート時に追加してもらえた(ちなみに「悴・伜」という漢字です)というエピソードもあり……――自分はこのフォントを使いたいのだ、どうしても。ある種の使命感になっている。
そんなことを思っているうちに、自分の中であるフォーマットが出来た。
Oradano明朝を使って、ちょっと古い雰囲気のある仮名遣いに歌詞を変えて、でも詞の中にセミコロンを使う。――そういったものだ。ラナッハはそのフォーマットに沿っている。
他に同様のフォーマットに沿っているものは以下の通り。
そして数少ないお気に入り曲のひとつ)
既に「ジェットブラック・ジグ」の結末と構想が出来上がっていた)
そういや、もう長いこと「がくぽをメインボーカルに据えて、がくぽの声に沿ったような曲」を作っていないことに気付いた(ニアリアムが最後)。なんか良いネタが降ってきたら、次はがくぽ使おうかなー。
……というか、さ。2018年前後ぐらいの頃が自由に、今の自分でも「良いな」って感じられる歌詞を書いてたなと。多くの人の目には中二病のようなものとして映るかもしれないが。自分はこういうのが好きだったなと、振り返る過程で久しぶりに感じられた。
音作りは今の方が好きなんだよ、もちろん。その点に関しては常に「今が最良、それより前のは微妙」っていう立場を取っているから。しかし~、なんだろう、この虚しさは。あ~、今の自分には自分の好きなものに尖って好きなように詩を書く勇気が欠けているみたいだ~。