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アルバム「文目を濁す薄霞」についてのメモランダム

文目を濁す薄霞 by Hinode Isuzu / 暘 弥涼    新しいアルバムを出していた。という情報は、FanboxとかTwitterとか 本ブログ に書いていたが。こっちではちょいと別ベクトルの話をさせてくださいまし。 英詞3曲のみが本題で、それ以外はどうでもいい  アルバム「文目を濁す薄霞」は7曲+Bonustrack1曲という構成になっている。が、実際のところ、「文目を濁す薄霞」というタイトルを帯びさせるに相応しいのは3曲だけ。それが英詞で作った3曲、「Jardin」「Paralysed by」「in a charade」のみ。  去年出したアルバム「殘炎縹渺」と比較すれば随分と大人しいテイストにはなっているけれど、上述の三曲もそれなりに政治的なものである。  神を作ったのは人だ。  Jardinについては、Tumblrのほうにこの曲についてのコメントを載せていた。 I heard a story that 'It seems that ancient people were able to hear commands from supernatural beings, but as writing became more widespread, this sense was lost,' and I found it intriguing, so I wrote the lyrics on impulse.  とはいえこの言葉は本音をかなり濁して薄らぼんやりとさせ誤魔化しているし、核心には触れていない。  要するに言いたいのはこれ。 神の言葉などなく、あるのは人が書き残したもののみ。  日本に生まれて日本で育ったものであれば、親が妙な宗教に傾倒していない限りはそれに気付く。容易に気付ける。  神や宗教はある種の洗脳装置で、ひとつの集団を同じ方向に向かせるためだけにあるものだ。集団に所属する個々の思想を同じ方向に向かせるため、数多の決まり事を作り出して縛り、決まり事を正当化するために壮大な「歴史」をでっち上げる。でっち上げた歴史を「聖典」と呼ぶ。  つまり宗教とはある種のフィクションに酔うことなのだ。極端な話、スターウォーズの世界に憧れてジェダイの騎士を本気で目指そうとする子供の心と、「主」に焦がれて修道院に入る成人は本質的に
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うちの猫チャンが「CIAOちゅ~る」を好まなかったワケ

猫とはよく嘔吐する生き物である。毛玉をペッペとよく吐く。が、うちの暴君猫チロルさまはその限りではない。  毛づくろいを滅多にしないズボラ猫ゆえ、毛玉を吐いた経験は数えるほどしかないのだ。チロルさまのブラッシングをすると、毎度ごっそり毛が取れる。 最近のチロル。 珍しく毛づくろいをしていた瞬間を捉えようとしたが、 撮影できたのは終わった瞬間の間抜け顔だった。これはこれでいい。  そんなチロルが昨日、久しぶりにゲロりんをした。それも午前中に4回。ゲロりんの内容物からみるに、おそらく消化不良。朝に食べたものをオエッとして、オエッとした後にまた食べたものをオエッとした、そんな感じ。胃の調子が悪かったようだ(幸い、今は落ち着いている)。  甘えん坊でおしゃべりで健康優良、夜中によく走り回る元気さはあるけれど、とはいえもうすぐ12歳。シニア猫になる。なので、やっぱり色々と不安に駆られる。  ――のだけど、そのときハッとあることを思い出した。そういや昨日(今日を基準に考えると一昨日になる)、ちゅーるを与えていたな、と。 ちゅーるを然程好まぬ猫  猫用コカインとさえ呼ばれるほど、猫に対して驚異的な中毒性を誇る「CIAOちゅ~る」。最近は製造元の不祥事もあって、泣く泣くちゅ~るを離れて別の代替品を探す飼い主さんたちもいるようだが、うちはそこまでダメージを負わなかった。というのもチロルさま、そんなにCIAOちゅ~るが好きでなかったからだ。  チロルが好きなのは、似たような系列のおやつ「銀のスプーン とろリッチ」のほう。そちらは一瞬で平らげるほどの大好物なのだが、ひるがえって「いなば CIAOちゅ~る」はというと、そこまででもない。  チロルにCIAOちゅ~るを差し出すと、最初はニオイにつられて喜ぶんだけど。次第にペロペロと舐めるスピードが落ちていき、時折「う~ん??」と何かを考えるようにイカ耳で静止する。数秒止まってから、またペロ……ペロ……とするけども、なんだか「差し出されたから、仕方なく食べてやっている」というオーラを放っているようにしか見えない。  最終的に、半分か3分の1ぐらいを残してストップ。ちゅ~るはもういらん、という風にプイッと背を向けていなくなることが多かった。翌日に残りを差し出すも、同じような反応を示すばかり。  なのでCIAOちゅ~るは、たまに気まぐれで与える程度

【Witch of Yelekedis】進捗報告版「α:その1」を公開していた

 ゲームそのものに関する詳しい話は↑でしている。  あと、オリジナルBGM集をリリースしたので、そっちもよろしく。 Witch of Yelekedis: Soundtrack [vol.1] by 暘 弥涼(暴発炸裂マシンガンak-α2)  22曲+アルバムをまるっと購入して頂いた方には、ダウンロード時にボーナストラック「Sizallaa Jend:金色の汚塵 [ A Tender Constitution ]」が同梱されます。なので合計23曲ですかね。

一か月以上も執筆を進めていないのは初めてのことかもしれない

 他のことにうつつを抜かしていたら、こんなことになっちまった。かといって、開いてはみたものの筆は進まない。  今、放置されている最新のシーンは、わりとハッピーな内容なんですよ。だから書くことができない。今は。  しかし、打って変わって ゲームのスクリプト 。それを書く作業は順調。AフラグとBフラグでは、登場人物の見えてくる側面が大きく変わったりする話とか、そういうのは書くのが楽しい。  そして最近思うのは、それ以外のことは楽しくないってこと。  小説を書くのが楽しいと思えるまでは、それを休むべきな気がした。無理して書いても、良いものにはならないから。

フリゲの制作をン年ぶりに再開した話

(メッセージウィンドウやボタン素材は「空想曲線 https://kopacurve.blog.fc2.com/」さまよりお借りしています。)  こういうの作り始めました。 「詳細」はピクファンに書いた のでそっちを見て下さいまし。

紙媒体版「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ《下巻》」販売開始です

CMYKだった元データから適当にRGB変換したため、色味がかなり変わってます。 恐らくお手元に届くものは、もう少し群青っぽい色味になると思う。  というわけで、 第五巻「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ:下巻」オンデマンドにて販売開始です。 色味参考:元データのスクショがこちら。  去年?一昨年?の大改訂をして内容が変わったものを、またもう一回手を入れて、その結果かなり最初の版とも大改訂その1版とも異なるものになり、更にヤッベェ内容に変貌した。そういうわけでサイト掲載版の「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ」は非公開化するという措置を取りました。  紙媒体版とサイト掲載版の内容が異なりすぎて、どちらか一本に統一しないとマジで混乱を招くレベルに変わってるんです。そういうわけで、ご了承ください。  とはいえ「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ」は、全体を俯瞰してみた時に「そこまで重要ではない」という扱いになるパートである。第三巻「DT//S」から第六巻「AfL:part 1」に跳んだとしても、まあ一部は歯抜けみたいな感じになる (たとえば、アーサーがアレックス相手にガチギレするくだりの理由が不明になるかも) だろうけど理解できなくはない構造になっているから。  とかーなんとかーでー、なんかー、本当にー、様変わりしたんですよ。大改訂版でも大きく変わった本作ですけど、そこから更に、本当にまた変わった。  表面上は同じようで、核として根底にあるものが大きく様変わりした、というほうが正しいのかな。まあ、そういう感じな仕上がりになってます。  新しくなっちゃった「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ:下巻」お手に取っていただければ幸いです。  以下は余談です。 作中で一番嫌いなキャラクターは、作中で一番の善人です  登場人物が100人以上出てくるこのシリーズ。色んなクズもいっぱい出てくるけど、皮肉なことに作者的に一番大嫌いなキャラクターは作中で一番の善人「エリカ」である。  エリカはたぶん、普通にそこらへんにいそうな善人なんだよ。普通に良いひとなんだよ。  で、自分は普通に良いひとが一番苦手なんだ。  エリカは普通に良いひとだ。だが、彼女はきっと裏でブリジットの悪口を言ってんだろうなーって気がしている。クロエと二人で、言ってそう。そういう絵が浮かぶんだ。  普通に良いひとは、普

創造力の代償として、多くのものを手放しているのだろう

 いつぞやの曲をリメイクしたりアレンジしたりしていた。どっちも同じ曲だけど雲泥の差だね。ちなみにどっちも気に入ってない。詳しいアレコレは Tumblrに書いた ので、そっち見て。  最近、実は英語の歌詞の書き方を変えた。あんまり重視してなかったライムを最近は意識してみたりしてる。その結果、言葉の制約に頭を抱えるようになって「たのしくない……」というような感覚がある。まあ、しばらくはコレを続けるつもりだけどね。修行だと思って頑張ってみるよ。しばらくは……。 「社会不適合のダメ人間」と烙印を押すのは容易いが、そもそも気軽に烙印を押す社会のほうがギスギスしてイヤな感じしない?  最近、自分の中で思うことがあって記録を付け始めてみた「睡眠記録」。さながら心電図のようなグラフだけど、これが睡眠の記録です。完璧に昼夜逆転してる&乱高下しすぎ。  昼夜逆転については……太陽光嫌いの吸血鬼みたいな生態をしているので、仕方ない。太陽光を浴びると眠くなるんだ。本当に、冗談抜きに。外に出ないから昼夜逆転になるんじゃなくて、昼夜逆転の体内時計が自分には適しているから結果的に外に出ないだけ。だから昼間の世界に生活リズムを合わせなきゃいけない日のしんどさは……ハァ。  まあ、それはさておき。注目すべきは「2月1日」の記録。記事上部に載せた曲×2を一気に仕上げたあの日の記録。 二時間しか寝てない のだ。そして翌時は半日近く爆睡してる。  最近、気になってるのはコレなんだよね。たまに訪れる超短時間睡眠⇒超長時間睡眠のターン。二時間しか寝てない日に限って、すごい元気だったりするんだよ。そういう日に、はちゃめちゃに文章を書き進められたり、絵をガガガンッと描き上げたり、一気に音楽を仕上げたりしてたような気がしてた。  そしてハイパー元気だった1~2週間後、はちゃめちゃに情緒不安定になってたりする(それが今)。  で、記録を付けてみたら「やっぱり、直感が当たってた」ってことが分かった。そして、なんとなく気分がズーンと落ち込んでいる。  今まで、この「二時間しか寝てないけど元気!だから、今のうちにこの勢いを利用して作品を仕上げちゃえ!」っていう爆発力はアスペ家系の血がもたらす過集中だと思ってたんだ。だけど実は違うんじゃねぇのかって気がしてきたんだ。俗にいうとこの「双極Ⅱ型

「蒼き星」といえば。天狼の睥睨という言葉をどっかに書いたはずだが、どこだったか忘れた。

 ここんところ、最新作の執筆がドドドドンと進んでいたのだけど、それもここ数日で停滞してしまった。なんだか気分が乗らないのだ。そういうわけで作中におけるベンガルトラことラドウィグはまだ居眠りをしてる。全然起きねえのよ、あいつ。  その一方でしょうもない歌詞ばかりが溜まっていってしまい、うちひとつを蔵出ししたかたち。曲そのものの出来は気に入ってないから、たぶん数年後に作り直してそうな気がします。だが今はこれでいい。これ以上、詰めて良いものに仕上げようって気には、今はなれない。  あと、この歌詞は自分の言葉なのかって問われたら「違う気もする」っていうのが正直なところ。まあ、これはこれでいいかとも思ってるけどね。 歌詞はTumblrのほうに載せたので 、そっちを見てね。 ***  最近よく聴いてたのが「Mo Ghile Mear」と「Foggy Dew」。どっちもアイルランドのうたで非常に陰惨な内容。希望のあとに、絶望や諦めが来る。そういううた。でも曲調だけを切り取ったら「ノリの良い軽妙な民族調曲だよね」としか思われないかもしれない。そして自分は、そういう切り取りが嫌い。  特に「Foggy Dew」かな。歴史を鑑みると、カッコイイ曲だとして気軽に消費していいもんではないなと感じる。  だから、というか。自分で「民族調っぽい曲」を作る時に、牧歌的だとか神秘的だとか、そういうものを詩の中に織り交ぜたくないと思ってる。実際、各国において「我々の国の/民族のうた」として歌い継がれているものは、牧歌的とは真逆のものが多いし (むしろそういう曲が多いのは、深くを考えぬ能天気な国民性である日本ぐらいじゃなかろうか。南無阿弥陀仏を唱えるだけで天国に行けると考えるぐらい、我々はアホの国だ;良い意味でも悪い意味でも) 。英雄の歌であったり、戦争の歌であったり、敗北の嘆きの歌であったり、民族の文化的な誇りをうたったものであったり。まあ、「Scarborough Fair」のように色恋の歌もあるけど。 (最近よく聴いてる曲のひとつ。ギリシャ語?は分からないが、色恋に関連したうたであると聞いた。 マケドニアとか、そこらへんの地域の音階も独特で好き。アラブっぽさと西洋っぽさの中間点という雰囲気がしている)  各国の国歌とかも、そうですよね。フランス国歌の好戦的な内容は有名だし……。  だから

紙媒体版「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ《上巻》」販売開始です|備考とか

表紙絵はペルモンド? いいえ、実は微妙に違う。  紙媒体版「 ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ《上巻》 」オンデマンドにて販売開始です。  例に違わず4巻の内容も、サイトに掲載されているものと微妙にニュアンスが変わってたり、台詞や言動が書き換えられてたり等の変更点があります。ちなみに、今回は結構パンチのある台詞が追加されてたりしてます。サイコパス眼鏡の個性がハジけてる台詞が多く追加された、そんな感じです。 巻末付録として書き下ろしイラストを収録  今回は巻末付録として「らくがき」を掲載。らくがきというか、設定資料というか、まあそんな感じですね。今までなんやかんやで描いてこなかった「 ジェイドの装い 」とかを収録していますよ。  ちなみに、人生で初めて描いた ネイキッドドレス の絵が、それです。人生で初めて描いた ネイキッドドレス の絵が まさかの「女装」か……(笑)  でも綺麗な仕上がりになってるから、見てほしいな~っていう思いはある。  「なんで ネイキッドドレス なの?」っていう理由は、のちにジェットブラック・ジグのほうで明らかになるので、まあそちらも楽しみにしててね。 改訂に伴い、時系列を精査した結果の「新・バッツィ」である  最初に書いたバージョンにある「ペルモンド」のイメージと、紙媒体化された内容の中にある「ペルモンド」は、別人のようにガラッと変わってる。言動もそうだけど、外見の面においても。  最初にあった「ペルモンド」って、そこそこ老け顔で怖いっていうイメージだったんすよね。でも、改訂に際して改めて「タイムライン」を見直してみたときに、そのイメージが崩れた。というか崩さざるを得なかった。  上巻だと、ブリジットそしてシスルウッドの二人が20歳ぐらい。そして「ペルモンド」の当時の肉体/精神年齢は彼らと並んでいるのかっていうと、微妙なライン。諸々を鑑みると、おそらく2~3こぐらい下が妥当。精神年齢はもっと下の可能性さえある。  それなのに「老け顔」って、無理があるよね? あどけなさのほうが強そう。  ってわけで、そこをガラッと変更。「ペル

「お前の書く日本語の歌詞は、漢検一級でもない限り日本人でも読めねぇよ!」と突っ込まれる中で、外国勢ローマ字転記班は頑張ってると思いますよ

 新曲出してた。これはインフル (おそらく; 病院に行ってないし抗原検査とかもしてないので、コロナだった可能性もあるし、詳細は不明) で高熱出して寝込んでた時に、ちまちまと作り進めた曲。家にストックしてあったアセトアミノフェン錠を呑んで熱を下げつつ、亀の歩みなペースで作業を進めてました。  ずっと寝てるだけだと、なんだか罪悪感が湧いてしまって(40度に迫る高熱を出してた病人なんだから寝ているべきなんだけど)。かといって絵を描く元気もなければ、長文の執筆に取り組む思考力は無い。そういうときには音楽がちょうどいい。あんまり頭を使わないけど、とりあえず形になるし、時間も潰れて気がまぎれるので、病床での暇つぶしにぴったりである。他の人におすすめはしないけど。  まあ、そういうわけで、年末年始は寝込んでました。マジのマジでインフル寝正月で、しんどかった。  同じタイミングでオカンも発熱してたんスけど、二人そろって「これは……やばい……死ぬかも……」と感じるレベルのしんどさだったので。こんなにしんどいインフル(?)の発熱、過去にない。コロナのときよりしんどかった。熱もそうだけど、咳と痰がエンドレスな感じだった。  今は熱も下がって、ひとまず回復はしたけど。おかげで喘息の発作がぶり返してしまった挙句、最悪のタイミングで吸入薬がなくなって、そこから喘息がどんどん悪化して……。インフルが治ったあとに、喘息での病院通いが再開する羽目になり、憂鬱なんてもんじゃない。受診だ薬だで諭吉さんが解けていくさまを見るだけで、胃も痛くなる。咳のし過ぎで肋骨も腹筋も痛い。せっかく、薬を使わずとも大丈夫な状態を維持していたのにさ。インフルのせいで全部が台無しだ。  「あーあ」と思いながら、回復後にラストスパートを掛けて完成させたのがこの曲。そして完成して投稿した翌日あたりに「あれ、この歌詞……ちょこちょこ間違ってるっぽくね?」と気付き、悲嘆に暮れた。  「in the day」は「in the daytime」と同じ意味だろうなと思って使ったけど、今はもう分からない。自信がない。  そして「~ the smite」って、成り立たないよね。smiteって動詞だし、名詞としても使われない。名詞じゃないからtheは付くわけ

紙媒体版「ディープ・スロート//スローター」販売開始です|あの台詞とかこの言葉の話

パイソンは作中に出てこない。パイソン柄は出てくるけど。  紙媒体版「 ディープ・スロート//スローター 」オンデマンドにて販売開始です。  3巻からページの構成が二段組になり、一ページに詰め込まれてる文量がムギュッと増量しています。ちょっと圧迫感のあるレイアウトになりましたが、価格を抑えるための苦肉の策ゆえご了承願いたい。  二段組にすると幾分かページ数を削減できるんです。短い台詞が原因で生まれる無駄な空白、これを大幅カットできるので。意外かもしれないけれど、二弾組にするだけで20~30ページかそれ以上のページ数を削れるんですよ。実際、3巻は2巻よりも文章量はかなり増えているんですが、ページ数だけを見ると2巻よりも少なくなっています。つまり、そういうことです。  4巻以降は、より一層「1冊分の文章量」がズダダダダンと増えていくので、こういう措置を講じることにしました。  そして3巻の内容も、サイトに掲載されているものと微妙にニュアンスが変わってたり、台詞や言動が書き換えられてたり等の変更点があります。比較してみると、またちょっと別の視点が見えてくるかも? このタイトル、今さら変更できないから困っている。  3巻「ディープ・スロート//スローター(以下、DT//S)」。ひっどいタイトルだよな、と今は思っている。  だから改訂版の中では、終盤にペルモンドが苦言を呈するシーンをいれた。「もっと他に、マシな名前は無かったのか?」っていう、アレである。いや、この台詞は従来のバージョンからありはしたんだけど、それが意味するものは違っていたんです。  従来版の台詞は、ちょっと好戦的すぎるハイドン氏の姿勢に「ちょい待て」とペルモンドが釘を刺すだけのものだったんだけど。改訂版ではそこが変わりましたね。「いくらなんでも、ネーミングに品がない」という苦言に変わった。  ……実を言うと、この「DT//S」を書いてた当時は16~17歳だったんで、知らんかったんですよ。ディープ・スロートという言葉の意味してたものを。  当時の自分にとって、ディープ・スロートっていう言葉は単に「ウォーターゲート事件の中での重要人物のこと」でしかなく。そもそも、その人物に「ディープ・スロート」という名が付けられた所以なんかも知らなかった。 一切 。今は「逆に、何でそっちを知っていて、もう一方の意味を知

暗い森の奥底から声が聞こえてくるのだとしたら、それは人間の蛮行を呪う地母神の悲嘆だと思う。

 無色透名祭Ⅱに参加してた。といっても今回は動画だけ投げてそれで終わり。ひとが作った大量の動画を発掘して楽しむ……――だなんて気力、今年は無かった。  前の記事で一番言いたいことは書いたから、その問題についてはここでは取り扱わないけど。ただ、本当に悲しくて。お祭り騒ぎに乗じて楽しむなんてことをしようと思える気分じゃなかったのだ。  そして、それはこの曲を作っていたときも同じ。今回のこの曲は「逆再生すると日本語として聞こえる」というギミックがあるけれど、このギミックそのものは単に「政治的すぎる歌のインパクトを軽減させるために挟んだワンクッション」ぐらいの意味合いしかない。  分かろうと思う人にだけ伝わればいいよと、そういった諦めを込めて、歌詞を逆にした。ローマ字逆転だと分かりやすすぎるから、IPA国際音声記号という更なるワンクッションも挟んだ。  そしてYoutubeで公開したのは、歌詞の解答。でも、それだけじゃ分からないよという方向けに、ここに備考を書いておく。知りたくなったという人だけ、目を通してもらえればそれでいい。 日本の習俗は結果的に「自然環境を守り、維持する」ことに貢献していたが、人間都合の官僚的合理主義によってそれらを安易に打ち捨てた結果としての今がある こ​れ​は​日​本​語​だ​し​、​歌​で​す​ら​な​い​よ / Amy #無色透明祭2 https://t.co/3q7f9Di7Ki 解答: https://t.co/EIz6FOgaxg https://t.co/ZyG11K5w8q https://t.co/nedF5gkH5i pic.twitter.com/NEdacdyeyP — 暘 弥涼🚚💨💨💨HINO de ISUZU (@Isuzu_Hinode) November 5, 2023 「curjas」の中にも秩序という言葉は登場するけれど、こちらは「秩序=System= (愛) Córas → curjas」という意味合い。 「これは日本語~」のほうの秩序は、動画の中にも書いたとおり「Cosmos」であって「Cruinne」で、想定される規模がぜんぜん違うよ。っていう補足です。 https://t.co/3QAC6FTEQQ — 暘 弥涼🚚💨💨💨HINO de ISUZU (@Isuz

紙媒体版「ヒューマンエラー」販売開始です|「テロル」と怨嗟の連鎖

決してイケメンでもハンサムでもないカルロは、地味に描くのが難しい。   紙媒体版「ヒューマンエラー」オンデマンドにて販売開始です。  前回の反省から絵柄を通常通りのスタイルに戻し、さらにグレースケールではなく白黒二値にした結果、一カ月ちょいで挿絵&装丁作業をコンプリート。今回は早かった。つーわけで、この調子で残りも処理していきたいっス……。 現在、クサギカメムシはオーストラリア大陸にいない。貿易に携わる方々の尋常ならざる努力に敬意を。  「ヒューマンエラー」改訂版は、他の作品と比較してもオリジナル版との変更点がかなり多い。カルロの肩書が変わってたり、パトリックの性格そのものが丸くなってたり、ノエミのはっちゃけ具合が低減していたり、ペルモンドが比較的穏やかになってたり、逆にアーサーが刺々しくなってたり等々……。それ以外にも、こまごまとした「ニュアンス」が変わっていたりもしている。  で、そんな変更点多数の「ヒューマンエラー」だけど。個人的に一番印象に残ってるのがカメムシのエピソード。あれはオリジナル版ではなかったやつですね。  ちょうど、カメムシ登場シーンがあるページを編集していたときですかね。まさにそのときに、カメムシと家の中で遭遇しちまったんですよ。取り込んだ洗濯物を畳みながら片手間にノートパソコンでDTP作業をしていたときに、カメムシと出遭ってしまった。本当に本当に、カメムシのシーンの文章を原稿に流し込んだ直後だった。びっくりしたよね、二重に。  妹のおしゃれなパンティーを畳もうと触れた瞬間に、パンティーの中から黒くてデカいカメムシがヌルッと出てきて。一瞬、何が何だか分からなかった。混乱するあまり「このパンツ、ラルフローレンのロゴみたいな模様あったっけ?」って数秒ぐらい考えちゃった。   ラルフローレンのロゴはときたま虫に見えるし、  そして虫はラルフローレンのロゴに見え……   ア゛ア ゛―――― ァッ!?!?!?!? (キャーなんていう甲高い悲鳴は出てこなかった)  ベランダの床に妹のパンティーをぶん投げて、フマキラー・凍殺ジェットをぶちまけてからカメムシをひっぺがし、妹のパンティーは念

【追記あり:'23年10月22日】紙媒体版「EQPのセオリー」販売開始です|および、多様性とは何だろうかという疑問 - 蓋然性では掬えぬ声こそ多様性なのか

https://isuzuakatsukiposttruth.tumblr.com/post/729758111452348416/%E8%B3%BC%E5%85%A5%E3%81%AF%E3%82%B3%E3%83%81%E3%83%A9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%9E   紙媒体版「EQPのセオリー」オンデマンドにて販売開始です 。やっとこさ、販売開始。長かった。本当に長かった。  当初の予定では今年の4月ぐらいには完成しているつもりだったのだが。今年は色々とあったりなかったりで、挿絵制作が思うように作業の手が進まず。こんなに伸びてしまった。  本編の内容そのものはサイトにて連載されているものとほぼ同一 (誤字脱字が修正されていたり、校正の過程で文章が微妙に変わっていたり、一部本筋とは関係のない些細な事柄が書き換わっていたり。違いはそんなところです) 。付加要素は、オマケの短編「ダーティー・ディテクティヴ」と、巻末付録の年表まとめといったところでしょうか。  特に、短編「ダーティー・ディテクティヴ」は以前サイトにて公開されていたバージョンに大幅修正が加えられており、良くも悪くもダグラスとパトリックの印象が変わるかもしれない内容になってます。興味のある方はお買い求め頂ければ幸いですー。  以下は製作に関する愚痴と、最近のあれこれです。 挿絵の絵柄選択はミスったなと思ったよ、正直ね。 https://isuzuakatsukiposttruth.tumblr.com/post/729716233244704768/%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%BC-%EF%BD%85%EF%BD%91%EF%BD%90%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%A1%A8%E7%B4%99%E7%B5%B5%E3%81%AE%E7%B7%9A%E7%94%BB%E3%81%8C%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%BC%E3%83%BC%E3%83%BC-%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E3%81%A7%E4%B

「神ノ禍」におけるジェンダー論。~女性が“清浄”で男性が“不浄”である世界で、どちらにもなれなかった者とどちらにも染まらなかった者のお話~

2022年07月06日に公開した記事です。 日付のみを改めて更新 ***  自分は「目に見えない概念」ってものがとにかく大好きです。揺れ動く人の心、神という存在を希求する精神、様々な祈りのかたちなど。しかし自分にはあまり共感性が備わっていないこともあり、それらに臨む姿勢は「寄り添う」とかではなく「分析する」ものでしかない。  また自分は、そういう視点と態度で小説も書いている。エゴやプライド、人情、誰かに刷り込まれた価値観、信仰、恐怖など。目に見えないモノに振り回される人間の姿。そんなものが好きだし、それらを用いて共感や癒しを提供するのではなく、挑戦的な視点を提示する態度であり続けたいと考えているのだ。  で、今から七年前に書き上げ、昨年に再改訂版をリリースした「 神ノ禍 」もそういう側面を持った作品だった。ジェンダー観というものを故意に突っついている描写がいくつかある。そんな「神ノ禍」の世界、つまりシアルン神国という仮想の箱庭に根付いているジェンダー観について、軽く書いておこうかと思う。 【留意事項:当初「軽く書く」つもりだったけど。書きすぎて、27,000字を越えちゃいました。引き返すなら今ですぞ】 「女神」のみが自然の中に存在し、「男神」というものがいなかった古代世界を経て 魔術「アル・シャ」に長け、未来を知る預言者でもあったオブリルトレの女王は、 のちに神秘と融和と性愛を司る「宵闇の女神ノクス」と同一視されるようになり、 いつからかその名は忘れられ、歴史の中に消えていった。 そしてシアルの女帝は自らを「光明の女神シサカ」の末裔であると名乗る。 しかしシサカが司るのは「好戦と不和と破壊」であり、 一方的な逆恨みに任せオブリルトレを討ったシアル王家がもたらしたものもそれだった。  シアルン神国には、似て非なる神話が2つある。土着の自然信仰の流れを汲んだ「旧約神話」と、皇位に正当性を与えるために編纂された「新約神話」。この2つだ。  旧約と新約の違いは巻末付録に収録したので、そちらを参照してもらうとして。こちらでは逆に両者に共通する特徴を上げるとする。ちなみにそれは「 男神と