文目を濁す薄霞 by Hinode Isuzu / 暘 弥涼 新しいアルバムを出していた。という情報は、FanboxとかTwitterとか 本ブログ に書いていたが。こっちではちょいと別ベクトルの話をさせてくださいまし。 英詞3曲のみが本題で、それ以外はどうでもいい アルバム「文目を濁す薄霞」は7曲+Bonustrack1曲という構成になっている。が、実際のところ、「文目を濁す薄霞」というタイトルを帯びさせるに相応しいのは3曲だけ。それが英詞で作った3曲、「Jardin」「Paralysed by」「in a charade」のみ。 去年出したアルバム「殘炎縹渺」と比較すれば随分と大人しいテイストにはなっているけれど、上述の三曲もそれなりに政治的なものである。 神を作ったのは人だ。 Jardinについては、Tumblrのほうにこの曲についてのコメントを載せていた。 I heard a story that 'It seems that ancient people were able to hear commands from supernatural beings, but as writing became more widespread, this sense was lost,' and I found it intriguing, so I wrote the lyrics on impulse. とはいえこの言葉は本音をかなり濁して薄らぼんやりとさせ誤魔化しているし、核心には触れていない。 要するに言いたいのはこれ。 神の言葉などなく、あるのは人が書き残したもののみ。 日本に生まれて日本で育ったものであれば、親が妙な宗教に傾倒していない限りはそれに気付く。容易に気付ける。 神や宗教はある種の洗脳装置で、ひとつの集団を同じ方向に向かせるためだけにあるものだ。集団に所属する個々の思想を同じ方向に向かせるため、数多の決まり事を作り出して縛り、決まり事を正当化するために壮大な「歴史」をでっち上げる。でっち上げた歴史を「聖典」と呼ぶ。 つまり宗教とはある種のフィクションに酔うことなのだ。極端な話、スターウォーズの世界に憧れてジェダイの騎士を本気で目指そうとする子供の心と、「主」に焦がれて修道院に入る成人は本質的に
猫とはよく嘔吐する生き物である。毛玉をペッペとよく吐く。が、うちの暴君猫チロルさまはその限りではない。 毛づくろいを滅多にしないズボラ猫ゆえ、毛玉を吐いた経験は数えるほどしかないのだ。チロルさまのブラッシングをすると、毎度ごっそり毛が取れる。 最近のチロル。 珍しく毛づくろいをしていた瞬間を捉えようとしたが、 撮影できたのは終わった瞬間の間抜け顔だった。これはこれでいい。 そんなチロルが昨日、久しぶりにゲロりんをした。それも午前中に4回。ゲロりんの内容物からみるに、おそらく消化不良。朝に食べたものをオエッとして、オエッとした後にまた食べたものをオエッとした、そんな感じ。胃の調子が悪かったようだ(幸い、今は落ち着いている)。 甘えん坊でおしゃべりで健康優良、夜中によく走り回る元気さはあるけれど、とはいえもうすぐ12歳。シニア猫になる。なので、やっぱり色々と不安に駆られる。 ――のだけど、そのときハッとあることを思い出した。そういや昨日(今日を基準に考えると一昨日になる)、ちゅーるを与えていたな、と。 ちゅーるを然程好まぬ猫 猫用コカインとさえ呼ばれるほど、猫に対して驚異的な中毒性を誇る「CIAOちゅ~る」。最近は製造元の不祥事もあって、泣く泣くちゅ~るを離れて別の代替品を探す飼い主さんたちもいるようだが、うちはそこまでダメージを負わなかった。というのもチロルさま、そんなにCIAOちゅ~るが好きでなかったからだ。 チロルが好きなのは、似たような系列のおやつ「銀のスプーン とろリッチ」のほう。そちらは一瞬で平らげるほどの大好物なのだが、ひるがえって「いなば CIAOちゅ~る」はというと、そこまででもない。 チロルにCIAOちゅ~るを差し出すと、最初はニオイにつられて喜ぶんだけど。次第にペロペロと舐めるスピードが落ちていき、時折「う~ん??」と何かを考えるようにイカ耳で静止する。数秒止まってから、またペロ……ペロ……とするけども、なんだか「差し出されたから、仕方なく食べてやっている」というオーラを放っているようにしか見えない。 最終的に、半分か3分の1ぐらいを残してストップ。ちゅ~るはもういらん、という風にプイッと背を向けていなくなることが多かった。翌日に残りを差し出すも、同じような反応を示すばかり。 なのでCIAOちゅ~るは、たまに気まぐれで与える程度