最近、小説の方を全然書き進めていない。そうなるとこちらのブログに書くことが何もない。執筆中で悩んだり考えたりして溜まっていく鬱積を解き放つ場所がここであったため、今は書くことがない。 というか、書くことはあっても、創作に関する凝った話は今はFanboxのほうでしているというか。金にもならないこんな場所に裂く労力が無駄に思えて、ここは放置していた。 ただFanboxには書かないことがある。それがどすぐらい話。 もー、最近は暗い感情が溜まってるんだわさ。まあそれを今は WoY-R の製作にぶつけることで乗り越えているんだけれど、そこでは扱いきれないようなものをちょっとこっちに放出する。 はぁー。あーーー。 DSはNintendoだろ、光の戦士はFFじゃないの? コロナ前だったら笑えたんですけどね。DSといえばNintendoだし(自分はLite世代ですね)、光の戦士っていったらFFによく登場するワードだし。ハハハって笑い話にできたんだけど、今はそうではない。 DSっていったらディープステートの略だし、光の戦士はトランプやプーチンのような頭皮が光ってる業突く張りの爺さんどものことを言うみたいだし。それに、まさかこのワードが地上波の報道番組で聞くようになるとは予想もしていなかった。 あれらは頭のおかしい連中がつどう掲示板サイトに書かれている言葉じゃなかったのかよ。 少なくとも情報収集を楽しんでいたこの時代は 、 こんな暗い未来が訪れるとは予想さえしていなかった 。 そして自分は今、どうも他人から見たら「尖った思想の繊細なやつ」らしい。いつの間にかそうなってしまったようだ。 別に何か特別な権利を欲していたわけではない。ただ放っておいて欲しい、勝手に識別して符号を与えないでほしい、それから我々の使う固有名詞の意味を簒奪しないでくれと言っただけだが。だからなんかもう、この世界が嫌になった。 そんなことを考えながら、マイナンバーカードに性別欄があることに眉をひそめていたとき。遠い海の向こうの国では、ついにノンバイナリーを自認する人々が免許証やパスポート等の更新が行えなくなり、いうなれば「性自認を理由に権利を取り上げられてしまった」という世界線が到来したと聞いて、もはや暗澹たる気持ちしか己の中に見つけられない。 ついでにそのアメリカのほうでも、LGBTQの並びか...
文目を濁す薄霞 by Hinode Isuzu / 暘 弥涼 新しいアルバムを出していた。という情報は、FanboxとかTwitterとか 本ブログ に書いていたが。こっちではちょいと別ベクトルの話をさせてくださいまし。 英詞3曲のみが本題で、それ以外はどうでもいい アルバム「文目を濁す薄霞」は7曲+Bonustrack1曲という構成になっている。が、実際のところ、「文目を濁す薄霞」というタイトルを帯びさせるに相応しいのは3曲だけ。それが英詞で作った3曲、「Jardin」「Paralysed by」「in a charade」のみ。 去年出したアルバム「殘炎縹渺」と比較すれば随分と大人しいテイストにはなっているけれど、上述の三曲もそれなりに政治的なものである。 神を作ったのは人だ。 Jardinについては、Tumblrのほうにこの曲についてのコメントを載せていた。 I heard a story that 'It seems that ancient people were able to hear commands from supernatural beings, but as writing became more widespread, this sense was lost,' and I found it intriguing, so I wrote the lyrics on impulse. とはいえこの言葉は本音をかなり濁して薄らぼんやりとさせ誤魔化しているし、核心には触れていない。 要するに言いたいのはこれ。 神の言葉などなく、あるのは人が書き残したもののみ。 日本に生まれて日本で育ったものであれば、親が妙な宗教に傾倒していない限りはそれに気付く。容易に気付ける。 神や宗教はある種の洗脳装置で、ひとつの集団を同じ方向に向かせるためだけにあるものだ。集団に所属する個々の思想を同じ方向に向かせるため、数多の決まり事を作り出して縛り、決まり事を正当化するために壮大な「歴史」をでっち上げる。でっち上げた歴史を「聖典」と呼ぶ。 つまり宗教とはある種のフィクションに酔うことなのだ。極端な話、スターウォーズの世界に憧れてジェダイの騎士を本気で目指そうとする子供の心と、「主」に焦がれて修道院に入る成人は本質的に...